人気ブログランキング | 話題のタグを見る

本を読みながらの瞑想。不思議な世界。

本を読みながらの瞑想。不思議な世界。_e0079743_1734275.jpg

 今回の清里リトリートは、前に記しましたが、昨年に続いて上沼昌雄先生をお招きしました。

 出版されたばかりの上沼著『闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神』を読んで参加することが期待されていましたが、私は半分しか読めていないで参加しました。

 本書は、これまでにないような内容で、私は最初、どう読んでいったものか戸惑いました。読んでいくうちに気づいたのですが、本書そのものが「瞑想」と言えるものでした。

 本のタイトルには「瞑想」と記しながら、内容は従来どおりのエッセー集だったりする本が多いですが、本書の文体は、著者の瞑想のなかに読者が引き入れられて、自分も瞑想の霊的旅をしていくようなものになっています。

 文章のかなりの部分が現在形、現在進行形で書かれています。著者のいま現在の瞑想を、そのまま記しているような不思議な感じがします。

 読んでいる私も、論理的展開についていくというより、迷路か螺旋階段の中を歩いているような感じがします。今どこにいるのか分からず、闇のなかを手探りしていいるかのよう。「あれっ、また元に戻ったのかな?」というような。

 繰り返し展開されているのは、神は、また人は、闇、夜、影をもった存在であり、従来の福音主義神学、神学校教育ではカバーしきれない存在であること。そして、福音の光をたずさえて、その中を探訪することが、いまや私たちにはできること。そこにおいて、真の自己発見、真の癒し、回復、光への道が開ける、というように思えました。

 レヴィナス、村上春樹、アウグスティヌス、ハイデッガーなどの名前も出て来て、近代の世界大戦やナチスが生まれるのを阻止できなかった近代のキリスト教思想の限界、問題点にも触れています
 
 肉の罪、戦争、暴力、家族から受けた心の傷、父の存在、記憶・・・・。

 一言ではとてもまとめきれないですが、自分のだどってきた人生の記憶、自分が育った家族関係を振り返るなど、さまざまなことに気づかされる、印象的で、魅力的な、多くの問題提起を含む本でした。