清里での黙想リトリート
今年も仲間たちで、先週の後半、八ヶ岳のふもと清里にて二泊三日の黙想会を過ごした。
いつものペンションなので、オーナー夫人とはすっかりなじみとなった。
ほかではあまり会うことない仲間たちだが、この一年を振り返るなかで、言葉にしたことのない深い体験、主がなさったことの意味を、そのとき浮かんだ言葉で分かち合う。問うことも、聞き返すこともほとんどせず、その場だけのこととして語られる想い、記憶のほとんどは、重く、聞いても胸に納めておくしかない告白だが、不思議と平安な思いを抱きつつ、それぞれが話したいことだけを話す自由な時となった。
今年も昨年と同じ、上沼昌雄氏をお招きし、近著『闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神』(いのちのことば社)を題材に、それぞれが抱えている人生の闇のなかへ、イエスによる灯火をかかげて探索する内的な旅をたどった。
それは怪しげなものではなく、危険なものでもなく、つらさや悲しみは伴うものの、「あなた(神)にとっては……暗闇も光も同じことです」(詩編)とあるお方が同伴者だからであり、また、仲間がいるからこそできた旅だった。
by amen-do
| 2008-11-11 17:24
| 黙想・瞑想・エッセー