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世界の災害とイエスの苦悩

世界の災害とイエスの苦悩_e0079743_17233189.jpg 現在、中国の四川大地震による救出活動が懸命に行われています。最初の報告から1週間くらいたった現在、被災規模の想像以上の大きさが日増しに明らかになってきました。しばらく前は、ミャンマーにおいてハリケーンによる大水害があり、世界各国の援助活動は、末端までなかなか届かないようです。

 苦悩している人々、死にひんしている人々、悲嘆にくれている人々が取り残されています。報道を見るたびに私たちの心は深く痛みますが、無力さを感じながらも、自分にできることはないかと模索しています。

 こうした人類の悲惨さを、神はどう見ておられるのでしょうか。『ナウエンと読む福音書』のなかには、人類の苦悩とイエスの苦悩との深いつながりについて記されている箇所があります。
「キリストは死なれた」と言うとき、神の子であり、全人類の子でもあるイエスが苦しまれたことによって、あらゆる時代や場所に住む人間の苦悩が、神の内なる命に取り込まれたという真理を表します。どのような罪、恥、孤独、餓え、抑圧、あるいは搾取であろうと、拷問、投獄、あるいは殺人であろうと、暴力、あるいは核による威嚇ですらも、神が苦しんだことのない苦しみは一つもありません。

<略>この世の苦悩は神の苦悩であることを心で認める必要があります。年代にかかわりなく、女性、男性、子供たちの抱える苦悩は、ゲツセマネの園にかいま見る神の苦悩の底知れぬ深さを示しています。人類史の持つ最も深い意味は、そこにキリストの苦しみが徐々に明らかにされるということです。人間の歴史が続く限り、キリストの苦しみの物語は完結しません。<略>神がいなければ、人類の苦しみは耐えがたいばかりでなく、直視することさえできません。(ナウエン著『ナウエンと読む福音書』「世の光は絶やされた」より P.135)
  人々の苦悩を言い表せる言葉が見つかりません。どんな言葉も軽くなってしまいそうです。
   被災者の苦悩は深まるばかりでしょう。
   救援活動にあたる人々の健康が守られますように。