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秋の一日リトリート

 昨日、連休の一日、東京・四谷の修道院で開催された「一日リトリート」(主催:クリスチャンライフ成長研究会 指導:太田和功一主事)に参加しました。私も主催側の裏方の一人。秋の一日リトリート_e0079743_2231417.jpg

 開始は、午前10時、昼はテーブルを囲んでお弁当を食べながらの交わり、終了は午後は3時でした。

 その間、聖書の言葉の黙想と、参加者同士の分かち合い、自分の歩んできた道を振り返る時を持ちました。今回は約50名の参加者でした。

 このリトリートは以前の記事でも書きましたが、普段の生活から離れ、心を主の前に静め、落ちついた中で聖書の箇所を味わったり、ゆっくりと自分の過去を振り返って、そこに見えてくる意味や気づいたりすることが目的です。

他の人の静まりが、自分の静まりを育む
 これは、一人でできるのではと思う方もいるでしょうが、生活に追われている中ではなかなか難しい。それができるのは、

 (1)その場の中心となって導いてくれる指導者がいる
 (2)他の人と一緒に行うことで、他の人の心の落ち着きが、自分を助けてくれる
 (3)自分の気づきを分かち合ったとき、質問もせず、ただ聴いてくれる同伴者がいる
 
からこそ、成立するのではと思います。

秋の一日リトリート_e0079743_22311724.jpg詩篇の黙想

 午前中は、詩篇46編をじっくり各自が読み、黙想の時間を持ちました。

 静まって(やめよ、休止せよ、力を捨てよ)、わたしこそ神であることを知れ(46:10)
を、沈黙の中で繰り返し味わいました。

 私にとってはここ何ヶ月も、神の存在や臨在を、生き生きと感じるというところから遠くにいます。ナウエンも言っていますが、プレゼンス(臨在)とアブセンス(不在)は隣り合わせ。感情的、感覚的な実感が伴わない危機が続いています。
 この聖句を黙想するなかで、「知れ」ということと「信頼(=信仰)」ということに、つながりがあることを想いました。

 感覚や実感が伴わなくても、聖書の言葉は真実であり、神も真実であること。感情や五感は神に近づく大切な手段ではあるが、それに頼り切りでは危機を迎えること。感情や実感が伴わなくとも、神は不変で、普遍であることに信頼することを、静まりの中でじっくりと確認しました。

 配られた資料の中で、心にとまった言葉がありました。

   It is the stop that keeps you going.

秋の一日リトリート_e0079743_22313090.jpg イギリスの道路際の広告にあった言葉だそうです。
「一休みすることが、長旅を続けるこつ」というところでしょうか。

 別なところである言葉を聞きました。最高峰の山に登った有名な登山家に、インタビュアーが言いました。
「そんな高さにまで、どうやったら登れるのですか?」
 登山家曰く、
「ええ、途中、よく休むからです。疲れ切ってしまう前に、休むのです」

 休むこと、ときに中止して静まること、またこれまでの歩みを振り返ることなしでは、人生は平板になり、虚しくなり、神の導きや温かな眼差しも受けとめることができなくなる・・・そんなことを教えられた一日でした。


 今後の予定は、
  11月3日(土) 埼玉県、浦和福音自由教会(JR北浦和駅徒歩5分)
  2月11日(祝) 東京都、四谷 ニコラバレ(JR四谷駅徒歩1分)
   いずれも、午前10時〜午後3時  参加費が必要です。

   興味のある方は、私までお問い合わせください。