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教会の一致と協力について

教会の一致と協力について_e0079743_1741690.jpg クリスチャンになって、あるいはなる前に抱く大きな疑問は、「なぜキリスト教会は、こうもたくさんの教派、教団に別れているのか」というものでしょう。そして、互いに知らんぷりしているのはなぜか、ということでしょう。同じ教団内は別として、なぜ一緒に活動したり、協力したり、互いを訪問しあったりする部分がないのでしょう。(信徒同士の交流は自然に行われていますが。)

 ただもっぱら聖書を読んで信仰告白した者にとっては(私がそう)、この点は何十年たっても不思議で、不思議でなりません。西洋で起きた分派を、なぜ日本に持ち込まなくてはならないのか。イエスこそ一致を祈られた方(ヨハネ17章)であるのに。同じ街に住みながら、同じ街の他教会の信徒と知り合う機会は、ほとんどありません。

地上の現実的営み
「理想と現実の違い」とよく言われますが、キリスト者も現実には、歴史、戦争、国家、政治、権力闘争、お金の流れなどの大きな影響を受ける生活者なのですね。(パレスチナ人のキリスト者を考えれば一目瞭然。)

「分派、さらには異端は、ほとんどが神学校を出た指導者によって作られる」と誰かが言ったのを聞きました。本当でしょうか?──これまた不思議なことです。
 しかし、これを積極的にとらえ、多様性、個性、特徴が生かされるために分派している、ともとらえることができますし、特定の団体、個人への権力の集中も避けられます。

めずらしい、意欲的な本
 尾山令二著『クリスチャンの和解と一致』(地引網新書,190頁,本体780円,2007/2 )は、そうしたテーマを扱った本です。エキュメニズム運動(教会一致運動)以外の視点から、教会の一致、協力について、教会指導者が語った本はほとんど見あたらないので、本書は大変めずらしく、意欲的なものと言えるのではないでしょうか。内容は専門家向けでなく、たいへん平易で分かりやすいもの。ページ数も限られているので、だいぶ割愛した内容もあることでしょう。

 著者の尾山令二牧師は、最初から教団、教派に属さず、単立教会を築いて歩んできた人だから、こうしたことが書け、発言できるのでしょう。これまで驚くほどたくさんの本を書いている方で、信仰生活が長い人なら、同氏の本は何冊か読んでことがあるはず。今年80歳になられ、戦後の聖書主義キリスト教界の指導者(聖霊派に理解を示す福音派)の一人です。

キリスト教教理史をおおまかに一望
「キリスト教界全体を見ても、ローマ・カトリック教会、ギリシャ正教会、プロテスタントに別れており」と最初に述べています。ただし、まだほかに教派はあるはずです。そこまでは網羅していないようです。
「ギリシャ正教会」という代わりに「東方教会」とすれば、コプト教会、ネストリウス派、シリア教会、その他が入ってくるのでしょう。それとも、意図的に入れなかったのでしょうか・・。
 そのほか聖書中心でありながら、他団体と協力・一致などに初めから関心をもたない孤高のグループ、隠れたグループもあります。彼らは、テーブルにつかないでしょう。

 限られた分量とはいえ、東西に別れたキリスト教の歴史など、宗教改革後のプロテスタントの分派、カルヴィニズムとアルミニアニズムの違い、ピューリタニズム、千年王国説の影響などに触れています。ですから、ざっとキリスト教史を一望する入門書としても、よいと思われました。

 著者が歩んできた戦後の事情も解説しています。「私は、戦後日本に来た欧米の宣教師が一人残らずこうした人々であると言っているのではありません。しかしながら、大方の宣教師には、それほど十分な聖書知識がないのに、自分たちの教えを押し付けようという高圧的な態度がありました。ことに1ドル360円の時代のアメリカの宣教師に、この傾向が見られたことは事実です」という視点は興味深いです。戦後を直接知る人でしか言えない言葉ですね。(第2章)

 また、福音派内で大変評価の高いロイドジョンズ氏の聖霊のバプテスマについて述べた書『ジョイ・アンスピーカブル』が、なぜか翻訳出版されない(妨害があったらしい?)という裏面史も書いてあります。そうなんですか・・知らなかった・・不思議です。(続く)