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私と心の病

 以下に書いたことを、いつここに載せたものか、ずっと迷っていました。「他の人からの同情が欲しいから」「自分に注目して欲しいから」という目で受け止められるのではないか……と。
 しかし、私の周りでも心の病で苦しんでいる人が増えている現在、珍しいことではないと思い、自らの体験を載せることにしました。最近、ある団体の機関誌に載せたものの改訂版。

体重の減少
 ある日、自分の体重が急激に減っていることに気づいた。朝がつらく、朝食にほとんど手をつけられなくなった。一ヶ月を経て、体重が7〜8キロも減っていた。四ヶ月たったとき、ある友人が私を見て、「うつの症状ではないか」とヒントをくれた。

 2004年3月から二年間、私の精神科通いが始まった。「軽うつ」「うつ状態」と言われる心の病だった。幸い夜は眠れたのでそれほど重症ではないが、この期間の闘病はなかなか辛いものだった。「なった人しか分からない」と言うが、その通り。うつ症状に耐え、薬の副作用に耐え、いつ全快するか分からない閉塞感や経済的不安に耐え続けなくてはならなかった。

私と心の病_e0079743_13173928.jpg この時期、話題の映画『パッション』の公開と重なったが、知り合いから「見ましたか?」と聞かれても、とても鑑賞に耐えられそうになかった。

沈黙せる傾聴者
 医者から言われたことは、「ひたすら休息しなさい」だった。
 昼間、何もできずに身を横たえ、独りで家で過ごすことが多かったが、とくに朝方は、うめき、嘆き、後悔の念、物わびしさ、見捨てられたのではという思いが湧いてくる。多少元気になると、いらだち、怒り、否定的感情を家族にぶつけることがあった。このような闇の感情を誰が受け止めることができるだろう。──神しかいない。

 言葉にならない祈りを、ひたすら神にぶつけるしかなかった。そのとき、神からの応答はつねに、沈黙、沈黙、沈黙……。
「わが神、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません」(詩篇22:2)
 しかし、主はやさしく見守ってくださっていること、私の訴えは確かに届いていることに信頼することにした。
「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる」(詩篇55:17)

回復への道
 病名がついたことは私には救いだった。自分と症状を同一視せず、距離をもって見られたからだ。しかし、自分をおそった弱さを受け入れ、しばらく通常の生活ができないことを受け入れるのは容易ではなかった。諦めること、神にゆだねることを試された。

 感謝なことに、今はほとんど回復したが、回復への過程で、多くの人が私よりもっと重いうつ病で苦しんでいることを知り、同じ苦しみへの理解が深まったように思う。この暗闇を通されたときに、弱さを受け入れてくれた家族、友人の温かい理解、そっと見守ってくれている存在のありがたさを思った。私は決して一人で生きているのではないと、身にしみて学ぶことになった。

 今も時々、この闇の期間を通された意味を思い巡らす。今の私は、以前の私とまったく同じわけではない。再発もあり得ると思う。いつも弱さをまとっているこの身について、苦悩や弱さを通してしか知り得ない神と他者との関係について思わされる。
「心の傷(弱さ)は、神を愛し、他者と一致して生きるための熱い呼びかけであり、招きなのです」(ジャン・バニエ)     <了>

 この時期を経験し、自分の内に抑圧されている思いや感情があることに気づきました。自分の中の感動、発見、経験……それらを表現することの大切さを思いました。

 そこで、だいぶ回復してきたので、不特定多数を想定してブログを書くことを思いつき、今日まで続けてきたというわけです。開始は2005年9月。

 いつか、自分の都合でぱたっと止めることがあるかもしれませんが、ゆとりと微笑みを持ちながら、気楽に続けられたらと思っています。