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夫婦のコミュニケーションって?

 いま、ほぼ毎日、聖書の創世記を読んでいる。創世記はつねに興味がつきなく、面白い。
 副読本として、昨年発売された高橋秀典著『主があなたを恋い慕って』(発売:いのちのことば社)を使っている。この本は、高橋先生から直接購入できてハッピーだった。
 過去の礼拝メッセージが基になっているためか、適度な長さで、内容も明快で現代的だし、分かりやすい。楽しんで通読できそう。これはいい!

 今朝読んだ聖書箇所で、創世記25:28「イサク(夫)はエサウ(双子のうちの長男)を愛していた。〈略〉リベカ(妻)はヤコブ(双子のうちの次男)を愛していた」が心に残った。

夫婦のコミュニケーションって?_e0079743_1634544.jpg 高橋牧師は、イサク、リベカ夫婦の間に、よいコミュニケーションが成立していなかったと指摘している。なるほど・・。

理想の夫婦に思えた二人が・・
 しかし、あれほど美しい出会いと、神への信仰の模範となる決断をして結婚したイサク・リベカ夫妻(24章)、そして、神から直接の祝福を約束され、子孫繁栄が決まっていた夫婦が、その後、コミュニケーション不足のために、大変なお家騒動に発展する種を蒔くとは・・なんとも人間の浅はかさを示していてリアルな話だ。

 今日の箇所を読み終わって、出がけに玄関で妻に話しかけた。

 私「あれほど美しい出会いの物語で有名なイサク夫妻は、コミュニケーションが悪かったんだってよ〜」

 妻「そうよ。唄野先生が言ってたわ。聖書に出てくる夫婦は、ほとんとが問題のある夫婦だって」

 私「そういえば確かにそうだね。なんということだろう。ところで、よいコミュニケーションって、どういういことかなあ」

 妻「あなたが学んで、あとて私に教えてよ。じゃあね、行ってらっしゃい」

 うむー、お鉢をこちらにまわすなんて・・敵もさるものと、ぶつぶつ言いながらドアを閉め、駅まで歩く。

コミュニケーションとは手段ではなく「あり方」の問題
 電車に乗ってしばらくたつと本を取り出す。電車の中は読書タイムだ。いま読みかけのドラッカー著『プロフェッショナルの条件』(ダイヤモンド社)。
 二、三ページ読み進んだら、「ブファッ」と笑ってしまった。次章がなんと「優れたコミュニケーションとは何か」だった。なんというタイミングのよさ!

 現代経営学の考えをそのまま夫婦関係にもってくるわけに行かないだろうが、原則は共通するかも知れない。

 まとめてみると、

 ◎コミュニケーションを改善する試みは、今日、最大の関心事である。
 ◎コミュニケーションを成立させるものは、話し手側にあるのでなく、受け手側にある。
 ◎受け手が、見たり聞いたりしたいと欲するものを知らせることなく、コミュニケーションを行うことはできない。そうしないと相手は受け付けない、聞かない、無視する。間違って受け取る。抵抗する・・。
 ◎コミュニケーションとは、情報交換のことではない。
 ◎相手に耳を傾けるだけでは不充分。相手の言うことを理解して初めて効果が出る。
 ◎コミュニケーションを成立させるのは経験の共有である。
 ◎「わたし」が「あなた」にするものでなく、「私たち」の一人が「私たち」の一人になされるものである。
 ◎コミュニケーションは「手段」でなく、私たちの「あり方」である。



 ふーむ・・なるほど・・。 (これは福音伝道でも同じことだなあ〜。)

 では、イサクとリベカの場合に当てはめると、「私のエサウ」「私のヤコブ」と夫婦が互いに対立するのでなく、「私たちのエサウ」「私たちのヤコブ」という「夫婦のあり方」に立ってコミュニケションが成立する、ということになりそう・・・。 

 いろいろと発見のあった読書タイムだった。



余談:同じ章のなかに、つぎのようなの翻訳が・・
「キリストさえ、迫害者サウロを信徒パウロとするためには、サウロをひとたび盲目にする必要があった。受け手の心を転向させることを目的とするコミュニケーションは、受け手に前面降伏を要求する」(172頁)
 
 ドラッカーの鋭い指摘に感心するが、「信徒パウロ」でなく、「使徒パウロ」でしょうに・・。訳者も編集者も校正者も見逃してしまったんですね。たぶん聖書を読んだことがないのでしょうね。「転向」は、キリスト教書なら「回心」とするところ。