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キリスト教への二元論の混入─その1

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 最近、読んでいる本や接する人々との出会いの中で、二元論的な考え方や世界観が、私たちの持つキリスト教理解や生き方に混入してる現状(世界規模から個人生活まで)に気づくようになりました。聖書は、二元論的な言葉を用いている箇所があるので勘違いも招きそうですが、基本において一元論的ものの見方を持っています。

 この、「聖書の世界は一元論だ」という指摘は過去何度も聞いてきましたが、具体的には何を指すのでしょうか。それらに詳細に触れるのは専門家にゆだねますが、このサイトでリンクを貼ってある「キリスト教世界観ネットワーク」の働きは、そうした展望を普及する資料を提供しています。興味のある方は、取り寄せてみたらどうでしょう。たいへん面白い内容です。

 以下は、わたしの覚え書き程度です。このテーマに興味のある方は、ご自分で文献にあたり、研究なさってください。私は学び始めたばっかりなので、間違っていたらご指摘ください。

二元論の起源
 二元論のキリスト教への影響は、新プラトン主義(ネオ・プラトニズム、ギリシャ思想)経由して西方キリスト教会(カトリック、プロテスタント)が受けたそうです。東方教会(ギリシャ正教、ロシア正教等)はそういうことはなく、その神学のうちに一元論をキープしているのだそうです。(へぇー、そうなんですか。)

 二元論の起源は、古くはメソポタミア(バビロンとペルシア)に生まれたゾロアスター教に代表されるグノーシス主義から来ているのだとか。仏教(大乗仏教)、ヒンズー教、イスラム教の一部にも影響を与えている怪物のようなものらしいです。起源がたいへん古いのですが、現代へも影響を与え続けているのですかね。
 その理由は、その分かりやすい世界観にあるようで、私たちが取り込みやすい性質を持っているらしいです。

二元論のキリスト教への影響
 私は専門的なことは分かりませんし、強い確信にまでは至っていませんが、自分なりに「こうではないか」と教えられた4点について簡単に触れてみます。

(1)天と地に対する考え方に混じる二元論(終末論)
(2)神概念に混じる二元論(神論)
(3)肉と霊という考え方に混じる二元論(人間論)
(4)善と悪の二元論(世界観/宇宙観)

 長い記事になりそうなので、今回は最初の(1)を取り上げ、順次、残りのポイントをブログで取り上げたいいと思います。

(1)天と地に対する考え方に混じる二元論(終末論)
 天国、またやがておとずれると聖書で約束している新しい天地創造 = 新天新地というものが、大乗仏教でいう、はるか彼方の西方浄土のように、この世から隔絶した別次元の、雲上の世界のようなものであるという思想です。

 たとえば、しばらく前に見たのすが、キリスト教団体が発行した子ども向けカレンダーです。可愛いイラストの絵で、大きな雲の上で人間を擬した可愛いクマや動物が戯れ、音楽を楽しんだり、踊ったり、食べたり、くつろいでいたりするものが描かれていました。この天国観は、典型的なギリシャ思想のように思えます。(あっ、そうそう。背中に羽のはえている天使像って、よくキリスト教関係の絵でみますが、あれもギリシャ神話の影響なんでしょう? 実害はないようですが・・。)

 聖書が約束している天の御国、神の国、やがて到来する天と地が、この世界とは直接関係ない別世界で実現すると受け止める思想が生み出すものは、この世で果たすべきキリスト者の責任(政治、経済、自然環境、社会正義、教育、社会奉仕等)や創造活動(芸術、文化)などの、この世にかかわる活動や生活の軽視(相対的な価値の低下)です。さらに、キリストの再臨後(あるいは前)、世界は大戦争が起きて滅びるのだから、地上を良くしようとする努力は虚しい(でも自分は救われているから大丈夫)、魂の救いのみが大切だ、という世界観、歴史観が生まれると言われています。わたしは実際、そういう発言を複数の人から聞いたことがあります。

 聖書の提供する世界観はそれとは異なると主張する神学者が最近出てきています。この現実の地上に、神の国や新天新地が実現する、到来する(やって来る)、そして天国的なものと地上的なものが統合されるという思想です。この世とあの世は連続性があるというのです。それは、「主の祈り」に典型的に表れています。

 「御国が来ますように」(ルカ11:2)

 どうでしょう。そう考えると、この世界を見る目が違ってきませんか? それとも、最初からそう理解していました? 私はそのへんが不明確でした。
 私はまだ勉強中なので、「それは変だ」というご意見があったら教えてくださると助かります。