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『人生を導く五つの目的』を学んでます(パート4 音楽)

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歌詞があるからクリスチャン・ミュージック
 現在、伝統的な音楽だけでなく、ワーシップソングが世界各地で花開いて、とても豊かな時代になりましたね。うれしいことです。ウォーレン氏は、それを踏まえてでしょうか、次のように方向付けをしています。
「クリスチャン」ミュージックなるものは存在しません。ただ、クリスチャンの歌詞があるだけです。歌を神聖にするのは歌詞であって、曲調ではありません。霊的旋律というものはありません。〈略〉歌詞がなければそれが「クリスチャン」ソングかどうか分かるはずがないでしょう。(P.87)

 聖書的でないスタイルの音楽というものはありません。聖書の中に楽譜は載っていませんし、聖書の時代に使われていた楽器を、今現在私たちは持っていないのです。(P.86)

 神に喜ばれる礼拝というのは、情熱的であると同時に教理的でもあるべきです。〈略〉心も頭も動員する必要があるのです。
 今日、多くの人が音楽による感動と聖霊による感動を同じように考えていますが、それらは同じものではありません。本当の礼拝は、あなたの霊が神に応答することによって成立するのであって、ある音楽のメロディに応答して成立するのではありません。事実、ある種の感傷的な、あるいは内省的な歌は礼拝の妨げとなることもあります。〈略〉神よりも自分の感情に焦点を当ててしまうことがあるからです。礼拝において最大の障害となるのは自分自身です。(p136)
 このへんの発言、わたしもよく考えてみたいと思います。たしかに当たっているかなぁ、と。

 知り合いの若者が、アメリカから来日した有名なグループによるワーシップ集会に参加したことがあります。その人いわく、
「素晴らしかった。聖霊の臨在に満ちた集会だった」と感激してました。それほど英語力がない方なのですが・・・。
「よく判別できるなぁ。メロディー、サウンド、雰囲気に酔っただけではないの?」とイジワルおじさんは思いましたけど、まあ、プロセスとしていいのかな・・。健全な若者文化だし・・。本当に聖霊に満たされたかもしれないし。

 賛美歌への態度には、その人の育った背景や文化が深くかかわるので、いろいろと論議がありますよね。でも、ただ感情を発散したい、感情に酔いたいという若者のエネルギーもわかります。それも神が与えてくださった感覚ですし。

あえて言わせていただきます
 ところで、つい先日読んだところで、どうにもわたしにとって拒否反応の出る箇所がありました。38日目「ワールドクラス・クリスチャンになる」にあります。394頁。
 祈りは・・・非常に重要な武器です。人々は私たちの愛を受け入れず・・拒否するかもしれません。しかしそのような彼らであっても、私たちの祈りに対しては全く無防備なのです。彼らが近くにいようと遠く離れていようと、大陸間弾道ミサイルのように、その人の心にむかって祈りのミサイルを打ち込むことができるのです。(太字クレオパ)
 うむ、む、む・・・。いくらなんでも恐怖の無差別大量殺りく兵器「大陸間弾道ミサイル」(核弾頭付)というイメージを、平和的、非暴力的手段である祈りの比喩として持ち出すとは・・。たしかに霊的闘いという要素はあるにしても・・言葉を失います。
 こんなグロテスクな表現でも、アメリカのかなりのクリスチャンは歓迎し、励ましを受けるのでしょうか? イエスさまはどう思うでしょう? 

 一カ所の記述に過ぎませんが、日本で3万5千部も売れている本だからこそ、あえて言わせていただきました。  (私的つぶやき:「修正するか、カットしてほしい・・」)