人気ブログランキング | 話題のタグを見る

神秘主義は危険なものか?

 昨年末の本ブログで、「神秘主義」という言葉が出てきたので、いらぬ混乱を招かないために、ここで整理しておきましょう。ジェームス・フーストン著『神との友情』(いのちのことば社 品切)のなかに、そっくり引用したいほとよくまとめられています。

 要点だけを以下に紹介します。
 
 英語で「神秘主義」という語は、オカルトや理性的思考とつながりのない宗教感情との関連で使われている。ドイツ語では、ミスティツィスムス(mystizismus)とミスティーク(mystik)という語があり、前者は、心霊術、オカルトをさすが、後者は、単に神秘的なものを指す。

 キリスト教における神秘主義は、あくまで聖書というガイドラインによってのみその神体験が規定される。キリスト教の神秘主義的体験は、他の宗教の体験とはまったく別もの。

 代々のキリスト教神秘主義者たちの経験の信憑性は、聖書と照らし合わせて吟味することができる。

 真のキリスト教神秘主義者とは、以下のような明確なキリスト教のリアリティの枠内で生きる人々のことを指す。

 第一 神は人間を創造された方。「神との合一」と言うとき、人間と神の本質の合一ではなく、意志と愛における一致を指す。

 第二 キリスト教神秘主義は、神を、名前をもたない超越的な存在としての神ではなく、父、子、聖霊なる神として経験される。

 第三 人となった神、キリスト・イエスの生涯と十字架での死を指し示すことなくして、霊的前進はない。

 第四 神と人との交わりは、全面的に神の愛の主導権に依存している。

 第五 真の神秘主義者は、神の民の共同体である教会に属していることを認識している。神の真理は個人のみならず、公同性をもつ教会によって保たれている。
              『神との友情』(P114-116)
 こうしたことをわたしたちがよく把握しておくことは、いらぬ混乱や論争を避け、キリスト教の豊かな霊的遺産を正しく位置づけ、現代に生きるわたしたちの霊的渇きに応える道を開くのではないでしょうか。

 神秘、神秘的、神秘主義、真の神秘主義、神秘主義者、神秘主義的、超自然的等の用語は、日本でどんな響きをもち、どんなイメージを人々に呼び起こすのでしょう?
 またキリスト教界内で、どのような定義で流布し、どう思われているのでしょう。
 過去何十年かで隆盛を見せているカリスマ運動は、こうしたことへの霊的飢え渇きに、ある意味で応えているのかもしれません。

 ポストモダニズムの時代にあって、世の中やテレビ番組で扱われているオカルトや神秘現象へのブームなどに引き回されず、キリスト者が引き継いできた「真の神秘主義」を吟味しつつ理解し、その豊かさを見失わないようにしたいものです。