毎日の祈りと黙想の時間の持ち方は、私にとっていつも試行錯誤です。何日かうまくいっていても、生活のリズムが崩れるようなことがあると、通常どおり行かなくなります。
 インターネット時代、ある人から面白い祈りのコーナーを教えてもらいました。アイルランドのイエズス会が主催しているDaily Prayer Onlineです。この日本語サイトが、東京四谷のイグナチオ教会にリンクされており、「祈りの場」(リンク有り)とうい名前がついていて、そこから入っていけます。

 面白いのは、画面が変わるごとに、ゆっくりと文字が現れてきて、こちらのはやる気持ちを、落ち着かせてくれることです(完全版を指定。基本版は即座に文字が表示される)。順番にそって進んでいくと、体や心も落ち着かせたのちに、福音書からの短い箇所が紹介されていて、それを黙想するようになっています。また、最後には、この画面を使って祈った人の数が出てきて、世界中の人が活用していることが分かり、その数にびっくりします。全部で10分くらいかかるでしょう。

 慣れるまで少し時間がかかるでしょうが、各頁に出てくる「祈りのガイド」で紹介されているエクササイズや助けは、とても役立ちます。ある人にとってはまったく新しいアプローチかもしれません。

 今日の「御言葉」が出てくる頁の下段にある「行き詰まり?」という箇所には、プロテスタントの人には馴染みのない用語や、たまに多少の教理的な違いを感じる説明もありますが、それを差し引いても、なかなかよくできていて、毎日に活用できそうですよ。
 
 人によって好みがありましょうが、音がしないのがいいですね。御言葉に耳を傾けるのですから、当然と言えば当然ですが・・・。静かな画面を見ながらイエスさまと交わる時間を持っていると、ときに至福の時が訪れてきます。
 そこで語りかけられたことを、これからはノートにとろうと思っています。そして、このブログでたまに分かち合えればと思います。
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 各国語版(約20言語)が用意されていますが、ずっと日本語がサポートされていなく残念に思っていました。でも、久しぶりに覗いたら、どうやら日本語版がサポートされる体制が整ったようです。関係者に感謝すると共に、なんとか続けていただきたいですね。
 よかったら、試してみませんか。
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 今日も、あっという間に終わってしまった。

 朝、9時からオープンしている家の近くの医院に行った。ここはリハビリ教室も併設してあって老人が多い。どういうわけか、今日は空いていて、すぐに診察となった。短い会話のあと、前と同じ薬の処方箋をいただくことになった。医者は人のよさそうな話しやすい先生。
 処方箋をにぎって、ごく近くにある薬局に向かう。幸い薬局もすいていて、すぐに薬が出てきた。それをバッグに押し込み、今度は近くの駅まで歩きだ。5分くらいすると駅についた。ホームに出ると、急に暑さを感じた。缶ジュースを買おうか迷っているうちに到着した各駅停車に乗ることにした。
 各駅停車はたいてい途中で待ち合わせがあり、急行に乗り換えるようになっている。車内に入ると、気持のよい冷房がきいていた。

 電車に乗っている間は、貴重な読書タイムだ。バッグには、いつも二、三冊の本をしのばせておいてある。久しぶりに買ったスポーツ誌『Number』を取り出して読むことにした。スポーツ情報は、ほとんどがサッカー関係、たまに大リーグの日本人選手の活躍程度ぐらいしか興味がない。欧州に移籍した日本選手の動向を興味深く読む。

 数十分で「神保町駅」に着く。そこから事務所までは歩いて10分。古本屋街を抜け、明治大学の新築なったビルの前のだらだら坂を上っていく。その上りきった所にある御茶の水クリスチャンセンターに職場がある。もう長いことこのセンターに通う生活が続いている。

 ここは出版社にとって、たいへん便利な所だ。まずキリスト教書店CLCがあり、最近どんな新刊が出ているかをすぐに知ることができる。そして、取次店から書店に届ける本を運ぶ運搬業者が出入りしていて、帰りの便で当社の本も引き取ってもらい、取次店に届けてもらうことができるのだ。いのちのことば社卸部、伝道文書販売センター、日本キリスト教書籍販売の三つの定期便が出入りしている。

 仕事場に到着すると、郵便物やファクスを確認してから、パソコンを立ち上げる。パソコンでメールを読み、注文や仕事関係の確認。今はお手伝いが週一回しか来れなくなったので、個人注文がまとまって入っていると、うれしいものの、なかなか大変だ。編集作業があとまわしになって、荷造りを始めなければならない。

 しばらく作業すると昼休みとなる。いつもは弁当を事務所の人といっしょに食べる。昼は、ふらっと客が来ることが多い。つい話し込んでしまうこともある。
 午後は、仕事に集中する時間であるが、銀行に行ったり、足りない消耗品を買いに出たりと、作業を中断させられる雑用が入る。机に戻ってからは、キリスト教界の情報を見るために、しばらく各関係団体のサイトを覗き回ることもある。

 今はヘンリ・ナウエンの次の出版予定の本の翻訳の確認、編集をしている。ナウエン自身が書いたものではなく、他の人が編纂したものであるが、内容が濃いためか、作業はなかなかはかどらない。ときどき行き詰まっては、パソコンのモニターから目を離す。目の疲れも出てくる。机から立ち上がっては、お茶の設備のある所へ行き、水分をとることを心がける。

 午後は、突然の訪問客があったり、たまに本を直接買いにくるお客さんもいる。センターにいるといろんな人がやってくるのだ

 午後も、あっというまに時間が過ぎる。夕方はとくに速く感じる。早めに帰ろうとしても、仕上げておきたい仕事が気になったり、同室の人との相談事も入ったりする。すぐに帰宅時間になってしまう。ふつうの会社員は、さらなる残業が当たり前だろうが、わたしは6時前には退社することにしている。
 まだやり残したことがありそうな気がして、うろうろしていると、たちまち時間が過ぎてしまう。心で「えいやーっ」と決断して、帰宅の準備にかかり、荷物を詰めたバッグを背負う。
 今日の日よ、さようなら。

 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。
 労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:34)
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 私は現在、小さなキリスト教会に属しています。今日はメッセージを担当しました。「セレンディピティ」をキーワードに、私たちを取り巻く神の恵みについて考えてみました。聖書の箇所は、詩編121の「都上りの歌」、新約からは、有名なローマ8:32です。
 聴衆はティーンが中心。わかりやすいように心がけ、自分が昔体験した不思議な、びっくりするような神の助けについてお話しました。

 セレンディピィティは、聖書にある言葉ではなく、18世紀の小説家の書いた童話「セレンディップの三王子」から由来するようです。最近、日野原重明さんが、これについて本を書きましたね。『「幸福な偶然」(セレンディピティ)をつかまえる』というタイトルです。
 セレンディピィティの意味することは、「求めずして価値あるものを見いだすこと、また、その能力」。日本のことわざで言えば、「棚からぼたもち」「ヒョウタンからこま」というところでしょうか。ただし、聖書の世界はもっとスケールがでかいです。

 日野原さんの本では、セレンディピィティを「幸福な偶然」と名づけているようです。私たちキリスト者は、こうした現象を、偶然や確率というより、その裏に目に見えないお方の存在を信仰の目で見ようとするのですが.......。また、危機一髪で危険から守られるというようなことも、この範疇に入るではないでしょうか。
 それは私たちの周りでにたくさん起こっていること。ふつうは、なかなかそれに気づかないでいるだけなんですよね。しかし振り返ってみると、たしかに神による助け以外の何者でもないなぁーと思えることが多々あります。もちろん、そうしたことが自分にはあまりないと心配したり、そればっかり求めて、神経質になってしまう必要はありません。こうしたことは、向こうからやってくるものなのですから。

 先に記事に書いた「こんなことってあるんですか?」に続いて、じつは最近、もう一つ素敵な出会いがありました。先週の日曜日の午後、子どもを連れて車で20分の温水プールを訪問。ここはよく使うのですが、いつもは土曜日に出かけています。その日は、なぜか日曜日の午後に時間ができたのでした。
 そこで親しい友だち家族に会ったのです。前に同じ教会に集っていた方です。ここ二、三年、会えたらいいと思っていながら実現せずにいた方々です。
 「あら、まー」ということで、お互いに大いに喜んで話に花が咲きました。そして、今度ゆっくりお話しましょうということにして、昨日の午後、わが家でお茶を飲みながら家族同士でゆっくり旧交を温めました。

 『平気で嘘をつく人々』で有名なスコット・ペックも『愛と心理療法』(創元社)の中で、このセレンディピィティを恵み(恩寵)の一つとして、かなり頁をさいて書いています。大変面白い箇所です。彼はその特徴をこう言っています。

 人間を支え、高める。
 自然法則、因果関係で説明できない。
 ひんぱんに毎日生じている。
 意識したり、それに気づくこで価値が分かる。
 自分の意志ではコントロールできない。

 「恵みは自分で発見することはできるが、自分の力や努力で出会うことはできない。私たちにできることは、いつ来てもよいように心を開いておくこと。意識して気をつけていることで、それに気づく能力を増すことができる」と、ペックは自らの体験から述べています。
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 信仰生活において、こうした神の見えない助け、支え、素敵な出会いにもっと目を向けることができそうですね。毎日、大過なく過ごせることも、わざわいから守られていることだけでも、本当はすごいことなんですね。
 つらい中に置かれたときは、神のご配慮を認めることはとてもむずかしいですが、それでも、いつか振り返って神の恵みの視点から眺めることができるとき、困難に見えたものでさえも、すべて神の御手の中にあったと思える時きっとが来ることを、希望をもって待ちたいものです。

 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、
 あなたのいのちを守られる。
 主は、あなたを、行くにも帰るにも、
 今よりとこしえまでも守られる。(詩編121:7-8)
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 さて、びっくりするようなことがありました。

 昨日の午後4時半くらいのことです。わたしの自宅前で、妻がわたしの大学時代のM先輩にばったり会いました。Mさんは、Z市で働いておられ、わたしの自宅から車で30分くらいのところに住んでいます。妻は、子どもを迎えにいって、家に帰ってきたところでした。
 妻は、10年くらい前、わたしの紹介で一度だけMさんと会っています。その後、五年くらい前から、Z市の教育関係の仕事を始めましたが、そこで学校の教員をしているMさんとばったり会いました。

 そのときも、「あれ、まあ」とお互いにびっくり。

 その後、一年に一度くらい会う機会がありました。関係は、それくらいです。そして、昨日、自宅の前で車を止めている人がいて、それがどうもMさんとそっくり。まさかー。そして、なぜ〜?
 なぞは解けました。Mさんは、わが家のちょうど向かいにある集合住宅にいる親戚に会いに来ていて、駐車できるところを探していたのでした。
 へー。あれ、まあ。

 わたしは昨日は11時過ぎに帰宅したので、会えませんでしたが、妻からこの話を聞いてびっくり仰天したしだい。えー、本当〜〜?!
 Mさ〜ん! また、何かのおりに近くに来られることがありましたがら、ぜひ、お立ち寄りくださ〜〜い!

 でも、こんなことってあるのですねーーー。
 まあ、めったにないことでしょうが・・。
 めずらしい、めずらしい出来事でした。
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