前記事で、「ビジョン」に触れましたが、少し前、『ザ・ビジョン』(ダイアモンド社)といいう本を手にしました。『一分間マネージャー』などの著作で有名な、ケン・ブランチャード 共著によるもので、読みやすいストーリー仕立て。厚さも、読みやすさも手頃。
創業者の父から事業を受け継いだ二代目社長が、いかに創業者に劣らない会社の活力と社員のやる気を引き出すかという奮闘を描いています。
そのために、「ビジョン」を明確にし、それを社内に浸透させる流れで物語が進みます。「そんなにうまくいくか?」という疑問はあるにしても、とんとん拍子でことが進みます。この本の狙いは、意味のある、機能する「ビジョン」ということを、分かりやすく読者に伝達することです。
そこから教えられたことにそって、以下を記述します。
なぜビジョンなのか
納得できたのは、なぜビジョンを必要とするか。会社が一応、安定し、さらにリーダーシップの交代があるとき、「創業者の影響力、人間力、魅力、カリスマ性に依存しない」活力が求められます。
「私たちは何であり、この世界でどのような貢献が求められているのか」を全員が共有できるかどうかが問題になってくるわけです。
個人の影響力から脱却し、いかに組織を有機的に発展させ、潜在能力を発揮させ、個々の構成員に、生きがい、使命を与えるために、「ビジョン」が必要になってくるということです。
これに対し、ある強烈な個人が「幻(ビジョン)」「預言」「夢」「啓示」をかかげ、「俺についてこい」式に組織(教会)をひっぱっていくことがあります。そこには指導者の願望の実現、独裁、メンバーの利用が入りこむ余地があります。この点は、村上牧師のブログ記事が興味深い考察を深めています。「村上牧師ブログ 啓示」
しかし、本当のビジョンとは、個人の指導力やカリスマ、個人の自己実現、煽動に依存しない、「キリストの民(共同体)が抱く夢であり、幻であり、展望」なのです。指導者はそれを代弁しているに過ぎません。
ビジョンとは何か
ヴィジョンとは、言葉からも分かるように、かなり視覚的なものであることが分かります。これは聖書の黙示録にふんだんに散りばめられていて(1章、21章など)「聞いた」「見た」など、非常に視覚的な記述がいっぱいです。
本書では、歴史を変えた有名なヴィジョン、世界を動かしたビジョンとして、M.L.キング牧師、ケネディ大統領の宣言を取り上げています。
「仮に困難が待ち受けていようとも私には夢がある。それはアメリカン・ドリームに深く根ざした、ひとつの夢です。私には夢がある。 「万人は生まれながらにして平等である。これが自明の理であることをここに保証する」、この国家の基本理念(Creed)を真の意味によって実現する日が来るという夢が。(以下、映像では少し欠けがある様子)
私には夢がある。いつか、ジョージアの赤土の丘に元奴隷の息子たちと元奴隷所有者の息子たちが一緒に座り、友愛のテーブルを囲む日が来るという夢が。
私には夢がある。いつか、あの差別の熱にうだるミシシッピー州さえもが自由と正義のオアシスに変わる日が来るという夢が。私には夢がある。いつか、私の子どもたち4人が肌の色でなく中身で判断される、そんな国に住む日が必ずくる。
私には夢がある。 差別主義者がはびこるアラバマ、知事は口を開けば州権優位、実施拒否で忙しい、そんなアラバマにもいつかきっと、幼い黒人の少年少女が幼い白人の少年少女と手と手を取り合って兄弟のように仲睦まじく暮らしていける日が来るという夢が」→引用先 全文 演説映像16分
今でも身体に震えがきそうな、なんと壮大で、感動的な「ビジョン」でしょうか!
ビジョンとは、未来に実現するだろう風景が、あたかも現在の私たちの目の前で、リアルに展開して見えるかのような展望のこと。私たちはそれに心の奥底から感動し、動機づけられ、何らかのアクションを呼び起こさずにおれない。
ビジョンを短い言葉で表したものが「スローガン(標語)」
この風景、将来への見通しを、短い言葉で表したものが「スローガン」です。そこで、数値的なものを上げることが多いですが、それは、その先に見える風景を含むものであることが大事です。
数値達成に人生をかけたい人は、途中で、精神的、霊的枯渇を招くでしょう。
「1000人教会」「この地域に10の教会を」という数値目標スローガンは大きなチャレンジで、勇気を与えますが、「それでどうしたいのか、それがどうなって欲しいのか」がなければ、「魂」が脱落します。単に10個の教会堂(入れ物)を建てて満足という意味ではないでしょう。その「魂」が脱落していないものが、「単なるスローガンに終わらないビジョン」と言われるもの。
その「数値目標」は、富士の頂上(ビジョン)に到達しようとするときの、五合目に相当する目印。「単にスローガンに終わらないビジョン」であるためには、ふもとから眺めた五合目のかなたに、頂上が重なって見える必要があります。
そのときはじめて、数字は人を動かすものになります。
創業者の父から事業を受け継いだ二代目社長が、いかに創業者に劣らない会社の活力と社員のやる気を引き出すかという奮闘を描いています。
そのために、「ビジョン」を明確にし、それを社内に浸透させる流れで物語が進みます。「そんなにうまくいくか?」という疑問はあるにしても、とんとん拍子でことが進みます。この本の狙いは、意味のある、機能する「ビジョン」ということを、分かりやすく読者に伝達することです。
そこから教えられたことにそって、以下を記述します。
なぜビジョンなのか
納得できたのは、なぜビジョンを必要とするか。会社が一応、安定し、さらにリーダーシップの交代があるとき、「創業者の影響力、人間力、魅力、カリスマ性に依存しない」活力が求められます。
「私たちは何であり、この世界でどのような貢献が求められているのか」を全員が共有できるかどうかが問題になってくるわけです。
個人の影響力から脱却し、いかに組織を有機的に発展させ、潜在能力を発揮させ、個々の構成員に、生きがい、使命を与えるために、「ビジョン」が必要になってくるということです。
これに対し、ある強烈な個人が「幻(ビジョン)」「預言」「夢」「啓示」をかかげ、「俺についてこい」式に組織(教会)をひっぱっていくことがあります。そこには指導者の願望の実現、独裁、メンバーの利用が入りこむ余地があります。この点は、村上牧師のブログ記事が興味深い考察を深めています。「村上牧師ブログ 啓示」
しかし、本当のビジョンとは、個人の指導力やカリスマ、個人の自己実現、煽動に依存しない、「キリストの民(共同体)が抱く夢であり、幻であり、展望」なのです。指導者はそれを代弁しているに過ぎません。
ビジョンとは何か
ヴィジョンとは、言葉からも分かるように、かなり視覚的なものであることが分かります。これは聖書の黙示録にふんだんに散りばめられていて(1章、21章など)「聞いた」「見た」など、非常に視覚的な記述がいっぱいです。
本書では、歴史を変えた有名なヴィジョン、世界を動かしたビジョンとして、M.L.キング牧師、ケネディ大統領の宣言を取り上げています。
「仮に困難が待ち受けていようとも私には夢がある。それはアメリカン・ドリームに深く根ざした、ひとつの夢です。私には夢がある。 「万人は生まれながらにして平等である。これが自明の理であることをここに保証する」、この国家の基本理念(Creed)を真の意味によって実現する日が来るという夢が。(以下、映像では少し欠けがある様子)
私には夢がある。いつか、ジョージアの赤土の丘に元奴隷の息子たちと元奴隷所有者の息子たちが一緒に座り、友愛のテーブルを囲む日が来るという夢が。
私には夢がある。いつか、あの差別の熱にうだるミシシッピー州さえもが自由と正義のオアシスに変わる日が来るという夢が。私には夢がある。いつか、私の子どもたち4人が肌の色でなく中身で判断される、そんな国に住む日が必ずくる。
私には夢がある。 差別主義者がはびこるアラバマ、知事は口を開けば州権優位、実施拒否で忙しい、そんなアラバマにもいつかきっと、幼い黒人の少年少女が幼い白人の少年少女と手と手を取り合って兄弟のように仲睦まじく暮らしていける日が来るという夢が」→引用先 全文 演説映像16分
今でも身体に震えがきそうな、なんと壮大で、感動的な「ビジョン」でしょうか!
ビジョンとは、未来に実現するだろう風景が、あたかも現在の私たちの目の前で、リアルに展開して見えるかのような展望のこと。私たちはそれに心の奥底から感動し、動機づけられ、何らかのアクションを呼び起こさずにおれない。
ビジョンを短い言葉で表したものが「スローガン(標語)」
この風景、将来への見通しを、短い言葉で表したものが「スローガン」です。そこで、数値的なものを上げることが多いですが、それは、その先に見える風景を含むものであることが大事です。
数値達成に人生をかけたい人は、途中で、精神的、霊的枯渇を招くでしょう。
「1000人教会」「この地域に10の教会を」という数値目標スローガンは大きなチャレンジで、勇気を与えますが、「それでどうしたいのか、それがどうなって欲しいのか」がなければ、「魂」が脱落します。単に10個の教会堂(入れ物)を建てて満足という意味ではないでしょう。その「魂」が脱落していないものが、「単なるスローガンに終わらないビジョン」と言われるもの。
その「数値目標」は、富士の頂上(ビジョン)に到達しようとするときの、五合目に相当する目印。「単にスローガンに終わらないビジョン」であるためには、ふもとから眺めた五合目のかなたに、頂上が重なって見える必要があります。
そのときはじめて、数字は人を動かすものになります。
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by amen-do
| 2010-09-21 18:06
| 神学・霊性