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 主があなたを祝福し、
 あなたを守られますように。
 主が御顔をあなたに照らし、
 あなたを恵まれますように。
 主が御顔をあなたに向け、
 あなたに平安を与えられますように。
 (アーメン)
  (民数記6章23〜27節)
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 毎日のように拙ブログを訪れてくださる方には、すみません。
 ツウィッターでは、適度につぶやいてはいるのですが。。。
このところ、行事、訪問客、面談、研修会と机を離れることが多く、時間が限られて更新できてません。
 「ヴィジョン」についても、その後、思うところがあるのですが、残念。

 夏の暑さが終わり、クリスマスシーズンに突入する前の涼しい期間を皆さんが活用するみたいですね。今月中はお休みしたいと思います。どうぞ、よろしく。
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 あるイギリスの調査会社が、世界の国別、地域別のネット利用の特徴を調べ、発表しました。
その中で、私にとって興味深かったのは、ネットとの関わり方が人によって異なるということのリストです。
「最もデジタルな友人が少ないのは日本」

(1)「Influencer (影響したい人)」=ほとんど常時ネットにアクセスしている。できるだけ多くの人に自分の意見を聞いてもらいたいと考える、熱心なブロガー。

(2) 「Communicators(表現者・発信者)」=自分について語ったり自己表現するのが大好きで、オフラインよりもオンラインの方が自由に意見表明できて、目立つことができると考える人。

(3) 「Knowledge-Seekers(知識を探す人)」=ネットを使って知識や情報を得て、自らを教育していきたいという人。

(4)「Networkers(ネットワーク派)」=日常が忙しいので、新しく他人と知り合ったり、すでにいる友人たちとの関係を持続するためにネットは不可欠という人。

(5)「Aspirers(意欲ある人)」=ネットを始めたばかりで、まだあまり使っていないが、これから色々やっていきたい人。ネットの方が気持ちを上手に表現できる、ネットを通じてオフラインの人間関係がより良くなると期待する人。

(6)「Functionals (機能派)」=ネット上で自己表現したくない、ネットは便利な道具ととらえる人。セキュリティやプライバシーが心配。


 私は今のところ、どこだろう? ネット発言が主な仕事ではないし、ブルグ更新の頻度は少ないけれど、
(2)〜(3)あたりだと思われる。

 日本人は世界と比べると、SNSの使用頻度が少ないのですと。私もそんな感じ。
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 昨日、秋晴れの中、四谷の会場にて、「一日リトリート」の時を過ごしました。
 主催は「クリスチャンライフ成長研究会」。指導は太田和主事でした。

 スタッフを含め、40名弱の集いでした。今回は心と体を静めたあと、「人生の出会い、危機、転機」についてじっくりと向き合い、その意味について人生を振り返ってみました。
 全体は静かでしたが、小学時代の同級生と久しぶりに出会った方もいて、恵みのうちにこれまでの歩みを振り返ることができました。

 下の写真は、会場の中央を飾って、私たちの模範(?)となってくれたコスモス。花は花として、ただそこで無言で精一杯咲き、神を賛美していることに心が惹かれました。
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 前の記事が長すぎたため、読者の負担を減らすために分割してみました。

目的
 ビジョンには、「自分たちは何か、存在意義(貢献)、使命(ミッション)」、そして「何を」「なぜ」が必要になってきます。漠然と夢を抱くだけは、誰でもできるわけですから。何のために召し出されているか、具体的に自分たちの貢献は何かを明確にしていく必要があります。
 これは簡単な作業ではありません。以前記事に書いたベストセラー、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んだら』にもあるように、「顧客は誰か」も深く関係してきます。

価値
 次ぎに、何を大切にするか、どのように活動するかも、とても重要になります。それは貢献の過程で威力を発揮します。
 ある宣教団体では、どんな素晴らしいプロジェクトであろうと、そこに犠牲者が一人でも出そうなときは、プロジェクトを即座に中止するか、いちから見直すそうです。家族、本人の健康、人権、それらは目的達成の犠牲となってはいけません。
 そいういう意味で、動機づけ、判断基準、行動指針、優先順位を知るために、どうしても「何に価値をおくか」を充分共有することがなければ、犠牲者を生み出すおそれがあります。

 これまで、もしある団体に「独裁化、カルト化、独善化、犠牲者」が生じたとしたら、この「価値観」を明瞭にしないでいたことが、多いに関係あるかもしれません。

 目的を達成したいときに、「どのようにそれを生き、どう行動すべきか」を価値は教えます。価値観がはっきりしていないと、どう実践すればいいか分かりません。そうでないと価値観を体現してそうな特定の人物が祭り上げられ、権限の集中を招き、判断、決断のすべてをその人に依存するようになり、残りの人は「物まね」「追従者」になってしまうでしょう。

イメージ
 ビジョンには、イメージを喚起するものが含まれます。どうなって欲しいか、どうなることが終着点かのビジュアライゼーションが、そこになければ永続的な方向性が示されません。「では、次ぎにどうしたらよいか」という、なすべき行動へのイメージが失われ、ビジョン達成というより、目標達成で終わってしまうことになります。この点、M.L.キング牧師のビジョン(夢)は良い例となるでしょう。

 しかし、言葉にしただけではだめです。額縁に飾って終わりになりかねません。私もずっとそうでした。
そうならないためにどうしたらよいか、そのことも『ザ・ビジョン』に親切に書いてあります。よくできた指南書だと思います。そしてキリスト教色も濃い。

まとめ
 集団の存在意義にかかわる目的にコミットしようとする関係者が、その団体が行う社会貢献を通して生き生きとし、賜物や才能を発揮し、創造性を育て、人間としての成熟や生き甲斐を発見し、さらに「目標達成を越えた永続性」をそこに見いだすとき、初めてビジョンは本来の機能を果たすと言えるのでしょう。


 これまでビジョンと言われても、なんか眉唾で捉えていた私がですが、ここまで教えてもらえると、自分の加わっている教会、団体、仕事のビジョンは何か、家族のビジョンは何か(それぞれに、すでに与えられていると思われる)、おそまきながら自分でも明確化し、言語化していきたい気持ちになってきました。

 『ザ・ビジョン』から刺激を受けた、自分なりのまとめでした。 
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