<   2007年 12月 ( 9 )   > この月の画像一覧

e0079743_1553599.jpg
本年も、本ブログをご愛読いただき、誠にありがとうございました。

明日から年末年始休暇に入らせていただきます。来年の1月第2週から再開になります。

今年後半は原稿読みが中心で、本があまり読めませんでした。涙。

よいお年を迎えられますよう、お祈りいたします。


  画像は、来年2月に予定している新刊書の原書。

  オラーリン編 ヘンリ・ナウエン著  題名:『ナウエンと読む福音書』(仮題)
  (イエスの生涯にそってナウエンの黙想をまとめたもの)

  どうぞ、お楽しみに。
[PR]
e0079743_1214594.jpg
身近で見つけたクリスマス。恒例の町内教会合同駅前キャロル。25年続いているクリスマスを告げる歌声。お馴染み「ハレルヤ・コーラス」もあった。これまで何度賛美したことか。子供たちには、よい思い出となったでしょう。

e0079743_122252.jpg

e0079743_1221359.jpg
マリアへの受胎告知のイメージ。(近くの教会堂にて。)







e0079743_1222692.jpg

なぜか、横浜市民ボランティアの竹の切り出しに参加。切り出しは重さが軽くなる秋冬がいいのだとか。竹取物語は、日本に孟宗竹が移植される以前の真竹(まだけ)の世界。人間界に出現した聖なる存在が、元の故郷にもどっていく物語。竹の緑、光、何となくクリスマスと似ていないか? 全然違いますね。



e0079743_1223921.jpg
緑と赤のあざやかなシンボルカラーは、なぜか清々しい。

クリスマスとは、神が肉体をとったことを祝う日。受肉が意味する重要性をますます教えられています。

よいクリスマスをお過ごしのことでしょう。
[PR]
e0079743_15473988.jpg
毎日机に長時間座って作業していると、肉体疲労の蓄積のせいか、頑固な肩こり、背筋通などで、悩まされる。腰痛も。

ずっと前から思っているのだが、立って仕事ができる机はないものか。
その昔、ゲーテが使っている図を何かの本で見たことがある。

ちょうど肘の高さにある天板に肘をあずけながら、すこし上に傾いた天板の上に書類を起き、頭をそれほど下に向けずに作業。パソコン作業もできたら最高。

作業に飽きたり、行き詰まったら、そのまま動物園の動物ように部屋をうろうろ歩き回って思索する。筋肉疲労や血液の巡りもぐっと改善されると思う。
必要な図書があれば、立ち上がることなく、近くの本棚にまで取りに行けるし。

ネットで検索したが、これといったイメージに合う物は見つからない。
天板が水平だったり、肘の高さまでなかったり、広さがなかったりするものばかり。

こうした机を知っている人いませんか?
自分で設計、発注するしかないのでしょうね。

(図はパワーポイントを使った自作。まだまだ、へたっぴーです。笑)
[PR]
一昨年の今ごろ起きた、ある牧師さんと女性の亡くなった出来事について、
前々回に記事の一部で触れました。

誰もが衝撃を受け、心を痛めていた事件でした。私を含め「いったい、なぜ?」という
思いでいた方がたいへん多いと思います。情報不足のため、いろんな憶測が飛び交いました。

また今年の春に報道された新聞記事と異なる現状を、今回、関係者に近い方より、
より具体的な情報を提供していただいたことを感謝いたします。

より明確になったことは、
●事故か事件か、いまだに不確定であること
●関係者が、いろいろな事実を警察に懸命に問い合わせても、
 法的な手続きがあるためか、今の時点でも何の確かな情報も入手できないこと
●従って、客観的な事実関係や判断を公表したくても不可能なこと

新聞報道と大変異なるこの事実に大変驚きました。関係者の苦悩は深いと思います。
クリスチャンの間にも普及しているかもしれない検討違いの理解や推測、早計な判断は、
私を含め修正されねばなりません。(この状況をもっと継続的に知らせるわけにいかないのだろうか。多くの誤解が解かれ、いらぬ混乱を回避できただろうに。)
今回の記事が、少しでも誤認識を解くきっかけになればと願います。

本件について、今後、軽々しい発言は控え、祈りをこめて事態を見守りたいと思います。

最善をなしてくださる主の導きをお祈りいたします。
[PR]
e0079743_21361453.jpg

 先頃、日本で開かれたサッカークラブ世界大会で、イタリアのクラブ、ACミランが、実力を発揮して優勝。緊張感あふれる試合は見応えがありました。(テレビ観戦)

 その中心選手で、しかも試合を決定づける役割を果たした好青年ブラジル人、カカ。25歳。

 彼は誠実なクリスチャンの両親のもとに生まれ育ち、彼自身も、「将来は牧師になりたい」と述べるほどの信仰の持ち主。スキャンダルとも無縁です。(今のところ)

 個人的な賞金はすべて恵まれない人々のために寄付してきたとかで、今回も、さっそくイエス・キリストが育ったイスラエルにある街、ナザレの病院に寄付するのだとか。日本の選手とはスケールが違うね。

e0079743_10302.jpg すでに超有名な選手ですが、これからさらに手に入れるだろう名声、富、力。道を誤らないよう祈るものです。誘惑は強いからね〜。(今年は、欧州CL、スーパー杯、クラブW杯で優勝。世界最優秀選手賞をはじめ個人タイトルは10冠。写真は昨日受賞したFIFA年間最優秀選手賞)

 このクラブW杯の試合会場は、私の自宅からそう遠くない、横浜ニッサンスタジアム。入場券は高いし、入手も困難だし・・誘惑は強かったですが力不足で涙を飲みました。
[PR]

今年を振り返ると、「謝罪」というニュースが目についた。
ちなみにサイトを検索すると、一千万件もの記事がヒットする。

相撲部屋のリンチ、食肉偽造、耐震偽造、賞味期限の偽造、政治家の嘘、そうしたことについて、あとで責任者が謝罪を述べ、頭を下げるのを何度もテレビで目にした。

最初は、「知らぬ」「そんなことはしてない」「記憶に無い」「現場の部下がやったこと」としらをきっている有力者たちが、証拠や証言などが出てきて、引っ込みがつかなっためか、

「迷惑をかけてすみません」「世間を騒がせてすみません」「組織に迷惑をかけて申しわけない」と、ひたすら陳謝する。


罪の告白がないのでは?
私は、どうもこの言葉だけではすっきりしないところがる。あいまいな感じがする。

その原因は、「罪の告白」がないということであることに気づいた。
「私は、これこれの悪いことを行いました」という自白が見当たらないのだ。

ひたすら、「お騒がせしてごめんなさい」「すみません」と頭を下げるだけ。
この言葉の背後には、「迷惑をかなければ何をしてもいい」という本音が隠れていると思う。日本に十戒があるとすれば、第一戒は、「人に迷惑をかけるな」になりそうだ。

「迷惑」が意味するのは、調和を乱したこと、恥をかかせたこと、信用を失墜させたこと、不快感を与えたという結果。「自分が何をしたか」の原因にあるのではない。

日本人はこれだけすれば、罪の責任をとったことになるらしい。
何をしたのかは人前で何も言わない。口を閉ざす。報道と警察が報じるだけ。

あとは極端な場合、責任をとって無言で自殺という行動に走る人も多い。ああ、自殺(腹切り)王国日本。それも、「他の人に迷惑が及ぶから、私の死に免じて勘弁してください」というメッセージもこもる。そして、当局や世論の責任追求の矛先もにぶっていく。

「スピリチュアル」もうそうだが「告白(懺悔)」も、きわめてキリスト教的概念なのだ。それは神を前にした「回心(悔い改め)」「赦し」「再出発」につながる。

外国での謝罪と日本語の謝罪の違い
かつて外国に住んだとき、すぐ「ごめんなさい」を言ってしまう日本人について話題になった。
交通事故を起こしたとき、相手に非があっても、先にこちらが「ごめんなさい」と言ってしまうと、責任を全面的に認めることになるから「簡単には言うな」ということだった。

どうも、日本語の「ごめんなさい(謝罪)」や責任の取り方には、国際基準と異なるところがありそうだ。日本語の「ごめんなさい」には、「自分に非があるわけでなくとも、こんな騒動になって心苦しい。あなたにすまない」程度の意味でも使われる。

聖書には「告白(懺悔)」というものがある。自分の罪を神と人の前に言い表すことだ。これを文章で発表する人もいる。

昨年話題になったことだが、アメリカのキリスト教右派(福音派)の指導者のトップが、同性愛の罪で失脚した。そのキリスト教右派グループ(日本のJEAにあたる)は、同性愛を罪として糾弾していながら、その組織のトップである本人(牧師)が男娼を買っていたというのだから大騒動。衝撃が世界に走った。

その内容にあぜんとするが、さすがこのへんは教会が黙っていないというか、ちゃんとその牧師は「告白」している。

曰く。「私は家族と教会に対して嘘をつきつきました。子供のころからこの悪い癖が止められませんでした」と、公式の謝罪文の中で告白しているのだ。実名も顔写真もニュースで報道された。(英語サイトにリンクできるといいのだが、記憶ですみません)

それに対し、米国の有力教会の牧師たちが、リハビリのカウンセラーを引き受けたいとの
ボランティアの申し出がいくつかあった。「悔い改め」と「告白」があったからこそ、
援助の手が差し伸べられる。再出発がある。


日本の教会での罪の告白は?
日本のキリスト教界はどうか。ちゃんと聖書に従って「告白」しているだろうか?

たまに、よく知られた牧師や伝道者のスキャンダルは日本でもある。でも、あまり正式な「告白」が発表されることは聞いたことがない。教団内ではあるのだろうか?
「本人は悔い改めているのだから、家族がいるのだから穏便に」という、聖書の原則より日本人としての情けが働くのだろうか。昨年あった牧師の亡くなった出来事も、いまだに、どうもすっきりしない。

アメリカの指導者にも家族がいるし、アメリカで有名であることは世界に知られることだ。報道機関も容赦がない。でも、正式な告白はしている。だからこそ再出発のチャンスも与えられる。では、日本は? 再出発の話はほとんど聞かない。日本のクリスチャンコ・ミュニティの成熟度が問われる。

私たち日本のキリスト者の「恵み」に対する理解が問われる。



私が罪を犯したらどうするか? ちゃんと皆の前で告白するだろうか。
大きなチャレンジとなるに違いない。だからこそ、「告白」の重要さがあるわけだし、
だからこそ恵みの大きさが身にしみるだろう。

「告白」は、つねに困難なチャレンジであり続ける。

 (今回の記事が長くて「ごめんなさい」)
[PR]

 またまた、ブログ友達のお鹿さんから有益情報をいただきました。ありがとうございます。前回の記事、FEBCのネット放送に登場している野村祐之先生の講演内容がネット上で公開されています。(「スピリチュアル・ペインをめぐって」2002年の資料らしい)

「スピリチュアリティとは」「スピリチュアルとは」といった問題が、とても明快に分かりやすく説明されています。(全部で7頁あるので読むのが大変ですが。)

e0079743_14435499.gifそもそもの発端は、WHOの健康の定義として、「スピリチュアル」という用語が採用にされそうになったとき、「それに該当する日本語は何か」という問い合わせを各機関から受けたことから、「スピリチュアル」をどう解説したらよいかの模索が始まったようです。

このキリスト教用語を、キリスト教文化の背景と語彙を持たない日本人に、どうやって伝えるかという難題への一つの解答がここにあると思います。言葉は、文化と歴史を背景にしてはじめて理解し、共有されるということを教えられますね。

「健康の定義」「スピリチュアル(霊的)、スピリチュアリティ(霊性)」「からだ(BODY)」「あたま(MIND)」「こころ(SPIRIT)」「霊」「息」「風」「いのち(命)」「ペイン(PAIN)」「孤独」「共苦(コンパッション)」「共苦する神」「HEALTH(健康)」「HEAL(癒し)」「WHOLE(全体性)」「HOLY(聖)」「社会、自然との関係」「自分らしさ」(上図:YMCAのロゴマーク)

こうしたキーワードを漢字や英語の語源にさかのぼって解説してくれているので、なんか分かりやすいです。語源にさかのぼって、本来の意味からぶれてきた現代語を、あらためて修正する作業は、ヘンリ・ナウエン神父もひんぱんに著書の中で行っていて、それが読む楽しみの一つです。

こうしたキーワードを眺めて黙想するだけでも、それ自体がスピリチュアリティのなんたるかを理解する上で助けになります。


お時間を見つけて上記リンク先に目をとおしたらいかがでしょうか。
私たちのあり方について、新しい目が開かれるかもしれません。
[PR]
e0079743_12481026.jpg

キリスト教ラジオ放送局のネット放送からFEBC特別番組(4週間限定すでに終了)を、ブログ友達であるお鹿さんから教えていただきました。感謝。「しかの渓水をしたい」

野村先生は、ヘンリ・ナウエン神父と大変親しかった方で、エール大学時代のナウエンに学んだ方です。

サイトに行くと、40分、30分と二回に分かれています。私はすぐにとは行きませんでしたが、やっと先日、全部を聞くことができました。長さを感じさせず、一気に聞いてしまいました。

聞き終わったのち、一言「う〜ん」とうなり、呆然としてしばらく過ごすしかないような、素晴らしくもあり、圧倒されそうでもあり、不思議でもあり、生きる力をいただくようなでもあり・・の体験でした。

第一部
一つ目は、「スピリチュアリティ(霊性)」「自由」「責任」「ユダヤ人の祈りとの出会い」が中心で(記憶違いならご勘弁を)、とくにYMCAのロゴマークに記されている「Body」「Mind」「Spirit」にかかわる訳語についての話が、とても興味深かったです。

私たちの置かれている日本語環境と、訳語のずれについて教えられます。私はスピリチュアリティ関連の本を編集、翻訳している関係で、このへんの問題は共感できることがいっぱいでした。それに、「責任」「自由」についてのお話も目が開かれます。

第二部
肝臓の移植手術を受けた経験、七転八倒の傷みからやっと生還したがゆえに語り得る、またとないお話。臨死体験とも呼べそうな、夢のような世界と祈りとのつながり・・。これは、すごい。

「これは事実というより、私にとって真実なことです」とおっしゃっているように、本当なら個人的なこととして、あまり語ることがないような内容を、惜しげなく、熱く語ってくださっています。

番組を聞いた人は、類いまれな貴重なお話、忘れられない話として、心の奥に大事に、そっとしまっておきたくなるに違いありません。
[PR]
e0079743_15425051.jpg
来年の手帳はどうしますか? もう決めなくてはならない時期になりましたね。

これまで二年間、タイムデザイナーというものを使ってきました。これがよいのは、一日の時間が垂直に記されていて、1週間が見開きで確認できることです。

ただ私のライフスタイルではサイズ(B6)が大きくて、いったんバッグにしまうと、すぐに取り出せないところが難。

そこで、今回は、ITOYA製の小型サイズにしてみました。これも時間は垂直に並べてあり1週間が見開きです。このサイズなら、「この時間は空いてる?」「こうしたいんだけど都合はどう?」というときに、即座に取り出して、対応できそうです。カバー色も選択できます。

e0079743_15431059.jpgほかに私は、Gmailアドレスを登録すると使用可能なネット上の「Google Calender」も使い始めました。これは、スケジュールを書き込んでおくと、時刻が来たらメールで確認メールを送ってくれる機能があります。家族が確認したいときも、許可を与える手続きをしておくと、パソコンがあればどこでも私のスケジュールを家人が確認できます。ただ、祝祭日の区別がついていないんだよな〜。

スケジュール帳を二つもつ必要はないのですが、使用感を試しています。いまのところネット上のスケジュール帳をメインに、持ち歩く手帳を補助にしようかと思っていますが混乱するかなあ〜。

「Google Calender」と、携帯型電子手帳(PDA)を同期して使えるらしいいことが、お鹿さんのブログで紹介してあって、「おっ」と思いましたが、PDAって(過去使ったことがあり)高価ですし、ぼーっとすることの多い私は、うっかり落っことして二回も壊したことがありました。(汗)

愛読しているブログ「おふぃす・ふじかけ」では、「ほぼ日手帳」が紹介されていました。カバーとセットで買うと3500円ほどかかるようですが、追加の中身だけなら2000円。
カバーの種類が豊富で、好みのものを選ぶことができる優れものです。

私には、ちょっと大きすぎるかな〜。でも、すごく工夫が凝らされていて、ノート代わりや日記帳として使うのなら、バッグに入れて持ち歩きによさそう。
今度、店で手に取ってみたいと思う。
[PR]