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e0079743_17534090.jpg 中村妙子氏による翻訳教室のレポート、第2弾です。
 クラスは8月は夏休みで、9月に二回クラスがあって終了です。

 先週のクラスでは、「自費出版のことについて話して欲しい」と私が先生より依頼を受けましたので、後半に5-10分ほどお話しを教室の中でしました。しばらく前に、自費出版について被害を受けたと訴えた人が新聞で話題になったことを受けたものです。写真は、そのお礼としていただいたサイン入りの訳本です。うれしい。


 さて、翻訳の注意点ですが、以前に書いたものの続きを、いくらか書きたいと思います。題の次の解説は私なりの理解で書き留めたものです。

言外の意味を読みとる力
 文章で表されている背景にある心の動き、ニュアンス、意図によって、訳語の選択が異なってくるので、表面だけ見て訳せばよいわけでない。

文章の有機的連鎖
 文から次の文へ、段落から次の段落へのつながりが、読んでいる人に有機的につながっていくよう配慮。作品としての内容の統一感が大事。

うそ字を書くな
 あいまいな言葉は辞書を引いて確かめよ。用字、意味について知らない言葉は自分のうちにたくさんあるので、辞書はこまめにひく。

凝り過ぎると興さめ
 手を入れ過ぎ、凝った文にし過ぎるとよくない。

作者に密着せよ
 何を言いたいのか、作者の心情、視点、問題意識、意図を探りつつ、作者に肉迫する

強調点を把握
 文章、段落で、作者は何に強調点を置いているのか把握すること。

重大事を招く数字
 数字は一桁間違うと大変なことになる。

ミスプリントも自分で発見
 原文にミスプリントがあることがある。

辞書の訳語を鵜呑みにせず
 辞書に載ってる訳語が適さないことがある。

想像力は控えめに
 背景や言外の意味を読みとる必要があるが、あまりに飛躍すると原文から離れてしまう。

主語の結び方が行方不明にならないよう
 文の主語がいつの間にか、他の流れとごっちゃになり、落ち着き所を見失って不明瞭な訳文になることがある。

補足するのも訳のうち
 そのままでは日本の読者に意味不明な場合、ほどよい補足も必要

 次のサイトに、翻訳とC.S.ルイスについて、ちょっとしたインタビューが載っているのをたまたま発見。

 近い将来、翻訳にまつわる本をみすず書房から出版の予定だそうです。これは楽しみ。
 翻訳教室を来年も続けるかどうかは未定とのこと。

 翻訳教室関連記事は今回で終了。
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e0079743_17521769.jpg 見苦しい写真ですみません。五本指の靴下を履いた私の足の写真です。
 かなり前から、五本指の靴下があることを知っていました。「奇妙だな〜」と思いつつ、履いている人を見ると遠くから眺めて、「あれは事情がある人がするもので、ふつう履かないでしょ」と思っていました。

 水虫予防、冬暖かい・・と聞いていたので、使用したら「私は水虫持ちです」と皆に宣言しているようなもの。形も奇妙だし、身内ならともかく、恥ずかしくて人前で見せるものではないのではと思っていました。

 ところがある日、新聞を読んでいたら、フランス系モデルの美女が、「フランスに帰るとき、いつもおみやげに持っていく」とあったので、びっくり。洗練されたファンションの国フランスで、果たして受け入れられるのでしょうか?

 その記事によると、フランスの友人の誰もが戸惑うのですが、使ってみると、そのあまりの素晴らしさに感嘆の声を上げ、「今度もおみやげに!」と頼まれるとありました。

 これまた意外な展開。その理由は? 快適であること、歩いて疲れにくいことだそうです。
 水虫だけでなく、そんな効用もあるのですね。ぐっと興味が湧いてきました。
 外国人向けのおみやげに、よさそう!

手に入れました
「100人のうち、何人履いているだろう」と妻に聞くと、「20人くらいじゃない?」と言うではないですか。知らなかった〜。私の知っている限りでは、せいぜい2〜3人ではないかという印象です(靴の中を覗いたことはありませんが)。そんなに普及しているのでしょうか?

 そののちしばらくして、私の職場の中年女性が、サンダルばきに五本指靴下を履いているのを発見。

「へー、どうですか? 私の生活圏のお店では見かけないのですが、お値段は?」
「三足で千円くらいよ」
「まあまあですね。私がいつも買ってる値段くらいです(笑)。よかったら私のために買ってきてくれませんか?」
 この靴下は、手袋メーカーが開発したのだそうです。なるほどね。

 ということで、数日して買ってくださったのは、国内産で、一足千円。

 む、む、む・・私だったら遠慮する値段ですが、しかたがない。そのときほかに男性用がなかったというのですから。絹とナイロンの混紡ですから高級です。

履いてみました
 いや〜、最初は難儀しました。一本、一本、指を入れなければなりません。何回か使用したあとなら大丈夫でしょうが、とくに、小さなイチジクのような形の薬指と小指を入れるのに格闘しました(笑)。それに体が柔らかくないとね。お腹に肉がついている人も大変でしょう。

 破けないように慎重に、少しずつ履きましたが、途中で気づきました。この靴下には左右の指定があります(当たり前ですね)。慌てて左右をとっかえて履き直しました。はるか昔に履いた(七五三かな)足袋以外で、こんなの初めてです。

歩いてみました

 おお! 快適。ワンダフル! 裸足で歩いている感じ。

 それに、指が一本、一本、柔らかく包まれている感じは未体験ですから面白い。えもいわれぬ感覚。この感じは、ちょうど名人につぼを押さえられた感じに近いというか、「う、う、う、これは・・・」という快感があります。これまで脳が学習したことのない触感だからでしょう。指の間に布があるので、指と指の密着もふせいでくれます。

 この年になって、この未体験の感触は貴重(脳の活性化?)です。履いた靴の中がすっきりします。絹地のせいか通気性もよく、蒸れる感じがしません。

「こりゃ、いい! 歩くのが楽しい」と興奮状態になりました。

 これだったら、毎日履きたいな。それに、この靴下でスポーツ、ジョギング、ハイキングなど、どうだろう。スポーツのプロ選手では、すでに有名なのかも知れない。

 いやはや、単純な私でした。
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 中越地方でひどい地震がありましたね。昨日の午前、横浜で感じた揺れで相当大きいと判断しました。被災者への援助がスムースにいきますように。支援物資は企業から受けるが、個人からは受けないのだとか。以前の経験からそうするのだそうです。

中村先生の翻訳教室
 翻訳というものを正式(それがあるかどうか知らないが)に学んだことが、私にはありませんので、今年の五月から試しに講座を受けてみることにしました。短期間ですが。

e0079743_16493482.jpg 自由学園・明日館の主催による講座で、月二回、四ヶ月のコースです。講師は有名な翻訳家、著述家の中村妙子氏です。中村氏は、この場所以外では、翻訳を教えておられないとか。
 C.S.ルイス、アガサ・クリスティ、小説、キリスト教文学、どの訳本を読んでも、訳文は分かりやすく、イメージ豊かで、優れた訳者として知られています。ファンも多いことでしょう。

 場所は池袋駅から歩いて10分くらいのところにある有名な、F.L.ライトの設計(旧帝国ホテル)による明日館(みょうにちかん 重要文化財)です。かねてより訪問してみたいと思っていた歴史的な建物の中でのクラスです。

 週日の午前中であるためか、受講生に、さすが男性は少ないですが、今回のコースは、いつもより多い20数名の方が受講しています。毎回課題が出され、前もって訳を先生に郵送しておき、授業でも発表する実践中心のクラスです。

 そのクラスの中で、いままでの経験から生み出された警句や智恵を話していただくのが面白いのですが、その中のいくつかを紹介しましょう。
 以下は私が聞きとった範囲のもの。( )内は私見および注釈です。

●英文和訳と翻訳は異なる
 両者には大きな違いがある。翻訳は読者がいる。単に和訳するのでなく、読まれる文として訳す必要がある。

●一に原文、二に原文
 つい原文から離れ、思いこみで訳してしまうことがある。不明な点も含め、絶えず原文に戻ること。そこに必ずヒントがある。

●テンス(時制)はセンス
 過去形を現在形に、現在形を過去形に訳すことだってある。どちらがふさわしいか、その流れ、内容によって選んでよい。

●直訳か、意訳か
 どちらがいいということはない。できるだけ原文に沿いつつも、意訳(原文の意味を重視して訳す)することもあれば、直訳(単語に忠実に対応した訳語で訳す)がよい場合もある。

●せっかくの苦心も一語でだいなし
 何日、何時間もかけた翻訳も、一つの言葉の用法を間違うと、どんでもない誤訳になる。不明な点は、辞書、辞典、関連文献によくあたったり、その分野に詳しい人の意見を求めるとよい。
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●受動を能動に、能動を受動に
 英語特有の表現をそのまま和文にすると奇妙なことがある。ときに訳文の態を変えることもある。

●言葉にこもる価値判断
 1つの言葉には、否定的、肯定的、中立的、階層的、時代的……なニュアンスが含まれる。意味は同じでも、訳語の選択1つで、背後にある価値判断が加わるので注意を要する。

 以上、一部だけを紹介しました。これらは、いろいろと思い当たる点が多いです。こうして日頃感じていることを、ベテランの方から指摘していただくと、安心したり、展望が開けたりして助かります。

 今回、翻訳の課題は文芸作品を訳していますが、これが技術翻訳や哲学や神学的なものとなってくると、また注意点はそれぞれ異なってくるでしょう。

 ほんと、翻訳というのは多種多様であり、訳者の力量(英語、日本語、知識、経験、センス)に任せられることが多いですね。
 これから翻訳家を目指す方は、とにかく経験を積むこと、他者の目にさらされることが大事ではないかと思います。
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 今から何年も前、わが家に初めて赤ん坊がやってきたときの想いを書いたエッセーです。
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赤ちゃんがやってきた
 わが家は今、一歳に満たない娘を中心に回っている。
 娘が産院からわが家にやって来たときから、私と妻の関係は「夫と妻」ではなく「娘の父と母」という関係に変わってしまった。

 小さな子どもは誰も可愛いが、男にとって、人前で他人の赤ちゃんをあやすことはかなり気恥ずかしい。強さを目指して生きてきた男にとって、 柔らかくて簡単に壊れてしまいそうな身体に触るのはじつは怖いのだ。だから、赤ちゃんが目の前にいても、かなり距離をとり、遠くから眺めることが多い。しかも、 デレデレした態度を人目にさらすなんて、とんでもない!

 しかし、自分の子どもとなると逃げられない。そして、やっとのこと、人目を気にせず、幼い魂と向き合える個人的な時間ができる。そこに開ける未知の世界! これが人間の姿の原点なのか。

 ありのままの素朴な振る舞い──上機嫌、不機嫌、空腹、眠たい、甘えたい・・人間の基本的な態度や表情を、何の恐れやてらいもなく目の前で展開してくれる赤ちゃん劇場。人間って、これほどまで人前で無防備になれるのか!

 人と長い時間見つめ合うなんて、とてもできたものではない。しかし、娘はくもりない目で、臆することなくじっと私を見つめてくれる。その全面的な信頼の視線にさらされ、「そんなに頼りにされては困るよ」と、目をそらしてしまうのは私のほう。

 今のところ、話す言葉は「アー、ウー」のみ。大人から見れば、なんと不自由なこと! ただ、人間のもつ感情はすべて備えているらしく、懸命に何かを訴えていることは分かる。それはすべての人間が備えるハート(心)。

今も聞こえる親の呼び声
 子育てで気づいたことがある。この世での親子の関係が生まれてから、数え切れないほど名を呼び合うということだ。顔を会わすごとに名を呼び、どこまでそれが届くか分からないまま、あらゆる思いをそこにこめる。そのとき、相手が赤ちゃんなら、こちらを向いてニコリとしてくれると、それだけで親は満足なのだ。

 神の私たちへの気持ちもそれと同じだろうか・・。

「恐れるな、わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あはたはわたしのもの」(イザヤ43・1)
「彼(イエス)は自分の羊をその名で呼んで連れ出す。……すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行く」(ヨハネ10・3-4)

 私たちは親から何度も名前を呼ばれて育つ。だから心を澄ませてみれば、今でもその声が聞こえるくらい。
 では私の霊の親に対しては? 日々、私の名を呼んでくださる主の声に耳を傾けているだろうか。

 子育てでわが子を見つめながら、さらには自分自身をもっと育だてていただくためにも、今も呼びかけてくださる方を前に心を澄まそう。心を静め、聴き入るなら、「あなたはわたしのもの」と呼びかけるあの声が聞こえてくるはず。

 その御想いはどんなだろうか? ──それは言葉で言い表すまでもない。  
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 前回に続きます。この問いの目的は、自分を追いつめて、「だめじゃないか、もっとがんばれ」と責めたてるためではなく、あくまで「神の前で、自分を知る」ことに意義があります。生産性を高めたり、能力を高めたりするためでもありません。
 では、自分を知ってどうなるのか・・。それは、そのときに分かることとして、楽しみに待ちましょう。何かが起こるかもしれないし、何も起きないかもしれません。

e0079743_1547956.jpg ただ、自分の意志で自分を変えたいと思って懸命に努力しても、一時しのぎか逆効果になってしまうことが私の場合多いです。「わかっちゃいるけどやめられない」というわけです。
 自分を正しく、現実的に知ることは難しいですが、そこから見えてくるもの、気づき、新しい展望、自己認識の変換から、自分の心の底で永続的な変化の胎動が起こるのではないかと思います。
[ ]内は、私自身のための自作の問いです。


●自分はスロー(慎重)か、せっかち(素早い)か?
[私は確実にスローなタイプ。いつからそうか。昔と今で違いはあるか。性格によるものか。育った家族と関係するか。何か無意識の恐れでもあるのか。]

●いつそうなってしまうか?
[朝か、昼か、夜か。いつでもそうか。どんな場面でもそうか。スポーツをしているときは。何か条件があるのか。他人から指摘されたことはあるか。思い出せるいちばん古い記憶、その場面は何か。]

●自分が多忙なとき、いつもどんなことが起きてしまうか?
[優先順位の混乱が起きないか。注意力の低下、忘れ物、事故はどうか。体に影響は出るか。最善を尽くせるか、いい加減になってしまうか。]

●大きな心理的負荷がかかっても、平静な心をもって過ごせた経験があるか?
[ある。それは、どんな場面で、どんな負荷がかかったときか。そのとき私は何をしたか。なぜ平常心で過ごせたか]

●デッドラインまで、予定、課題を先延ばしてしまうか。何を先延ばしするか?
[よくある。スロースターターであることと共通する。めんどうに感じる。なぜ、何をしんどいと感じるか。その思いはどこから来るのか。]

●そうならないために、自分でできることは何か?
[分割して、少しずつ始めることはできないのか。他人の助力を求めてよいことはないか。なんでも自分でしなければと思っていないか。助けてもらうのにちゅうちょするのはなぜか。断ることも選択枝。]

●今の仕事の分量は適切か。自分がこなせる以上の仕事を引き受けてしまうことがあるとしたら、それはなぜか?
[何をもって適切と判断できるか。断ったら人に嫌われると思っているか。貪欲がそれをさせるか、他人の目がそれをさせるのか。人に認めてもらいたいからか。]

●次のリストを作れ
(1)過去、満足できた時間(瞬間)があったら、それは何か?
(2)過去、むなしく感じた時間(瞬間)があったら、それは何か?
(3)上の二つを比べ、何かのパターンを発見できるか?


 ビュルキ氏が用意した「自分を知る自分への質問」は、「時間と性格」に限っても、さらにあります。落ち着いた環境で、落ち着いた自分を置き、ノートに書きながらゆっくり、じっくり、自己を振り返りながら自問してみることです。きっと、これまで気づかった自分に出会えることでしょう。

 今回のシリーズはこれでおしまいです。     Photo by 「Harmony」
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