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 前回に続いて、『人生を導く五つの目的』を学んでいて、自分にとってよかったところを紹介します。これだけではなく、まだたくさんありますが、書きれないので今回はこれだけ。
礼拝とは
 礼拝とは、神をほめたたえ、賛美し、祈る以上の意味を持つものです。礼拝とは、神を喜び、神を愛し、そして神の目的のために自分自身をささげていく生き方そのものです。神の栄光のために自分の人生を用いていく時、あなたのすることはすべて礼拝となるのです。(P75)

 あなたにとって教会の礼拝とは、〈略〉一連のプログラムのことであるかもしれません。〈略〉こういった要素が含まれているかもしれませんが、実際はそれ以上のものです。礼拝は、生き方そのものだからです。(P85)

 あらゆる活動は、あなたが神を賛美し、神に栄光と喜びをもたらすためになされるとき、礼拝となります。(P88)

 神への感謝が伴う時、楽しむという行為はすべて礼拝になります。(P99)
 こうしたすっきりした、胸にすとんとおさまり、喜びと自由が湧き出る定義を、日本の教会指導者から、もっともっと早くに聞きたかったなぁーー。人生変わったかも。

 日曜日に教会堂に人を集めるための強調として、礼拝とは「日曜礼拝」に参加することであり、椅子に腰掛けているかどうかで「礼拝している」「礼拝していない」ということになってませんか? とくに日本では・・・。「おつとめ」のように・・。
 もちろん公同の礼拝は、信仰生活の中心となるべき重要なことですが、もっと広く、のびやかな礼拝生活を、わたしたちの生涯全体で貫きたいものです。

敬虔らしく聞こえる決まり文句を避けよ
 神は、その友が熱心に語る言葉には耳を傾けてくださいますが、見え透いた、敬虔な決まり文句には飽き飽きしておられます。(P.125)

 神は思慮に欠けた賛美や、うわべだけのお題目の祈り、やたらに「主をほめたたえます(プレイズ ザ ロード!)」などど連発することを喜ばれません。これは、それ以外に言うべきことを思いつかないために起こることです。〈略〉退屈な決まり文句となり、その意味も考えずにただ使われているということがあるのです(P138)

 讃美します。ハレルヤ、感謝します。アーメンなどの言葉を使わずに神をほめたたえてみましょう。(P.139)
 決まり文句、なんとかならないかと思っている人はたくさんいるはず。私もその一人。このご指摘、じつに痛快ですなー。ああー、すっきりした!

 異言も、素晴らしい祈りの賜物と思いますが、なんだかいつも決まりきった音を発している人がいるようです。それも、神にとって退屈な「決まり文句」になりませんか?

 でも、つい言ってしまいますよね。敬虔な雰囲気が醸し出されるし、使うとなんとなくおさまりがつくっていうか・・。それに、すぐ口に出てきて便利。

 知性をつくして礼拝する(神を愛する)って、本当は紋切り型におさまらない、じつにクリエイティブな営みなのですよね。
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e0079743_1644867.jpg 英語圏で、すでに2600万部も売れているお化け(?)みたいなメガヒットの本があります。リック・ウォレン著『人生を導く五つの目的』(PDJ)です。説明するまでもないですね。写真の邦訳初版の帯には1500万部とありますが、その後、そこまで到達したようです。

爆発的売れ行き
 日本でも翻訳が04年6月に出て、これまでの一年半で3万5000部が出荷されたそうな(リバイバル新聞1月1日号)。少し前の『ヤベツの祈り』みたいな売れ行きですね。ちょっと信じられません。

 わたしは翻訳が出る半年前、03年11月ごろ、アメリカの友人が来日したおり、プレゼントされました。(ありがとう、ウェイン!)。彼が「目からウロコが落ちるよ。あなたにぜひ紹介したいと思って・・」とじつに熱心に進めるので、その友情に応えて読み始めました。(アメリカでものすごく売れていることは知ってましたが、ちょっと距離を置いていました。)

 そのときわたしは体調を崩して元気がなかったのですが、その中で、一日、一日と毎日楽しみに40日の霊的読書を体験できました。次の年の04年初めに読了し、しばらくしてから二度目を読み始めました。何度でも読むべき本のように思います。
 その夏、アメリカの親戚も、集っている教会全員(特別価格で入手)で読んでいることを知りました。その教会では、毎週、読書プランにあわせたメッセージが語られたのだとか。すごいですね。

三人で読書会スタート
 そのころ邦訳も出たので、ちらほら読み始めました。途中までいったところで、わたしのいる事務所の仲間三人で、週1回の学び会を始めました。分かち合いながら読んだほうがずっと楽しく、実りも多いです。その学びは、05年1月にスタートし、毎回1課ずつ読んでいきました。
 それが今週の木曜日、なーんと丸一年が経過し、40日コースのうちの36日目まできたのです。「継続は力なり」です。
 33日目をちょうど読んでいるとき、近くにいた知り合いが、「その章は、アメリカで強盗に入られた女性が読んであげて、強盗を回心させた箇所だよ」との指摘があり、「おーおー」とうれしい声があがりました。

感心する構成と内容
 感心するほどよくできた構成(組立て)と内容です。よくここまでクリスチャン生活全体をコンパクトにまとめたなぁーと、うなってしまいます。でもよく見ると・・・名著スティーブン・R. コヴィー『七つの習慣』(毎年一回は読むべきとわたしは思っている)に構成が似ているではないですか! 内容は違いますが・・。

 一見、相矛盾しているかのような点もあるように思いました。「神がすべてを備えてくださる」という強調がある一方、「人間側の態度、信仰、努力いかんで決まる」というような相反するかのような記述が・・。でも、聖書もそういう両面が書いてあるのですよね。
 また、各テーマがコンパクトなので、深く追求したい場合は、ほかの書物にあたる必要があるでしょう。ここに書かれていることだけで充分だ、とは思いませんし、著者もそう思っていないでしょう。

 同じ著者による『健康な教会の鍵』(いのちのことば社)が数年前に出版されています。内容には賛否両論がありますが、『五つの目的』については、おおよその教会の信徒にとって、よい学びとなるのではないでしょうか。
 また、本書に関連しつつ、より広く、依存症などの人格的な問題の快復を目的とした「リカバリー・セミナー」の働きも、日本でスタートしています。大いに注目されるところでしょう。

 ちなみに、ウォーレンさんは、ビリー・グラハム後、アメリカでいちばん影響を与えるだろう牧師としてタイム誌(ニューズウィークかな?)で大きく取り上げられました。
 若い頃、日本(たしか九州で)で宣教師としての経験があり、子供さんが日本のアニメの大ファンなんですよね。親日家という所でしょうか。
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 いやー、ライブドアーの堀江社長が昨日、逮捕されましたねー。

 額に汗して働くわたしたち凡人を尻目に、偽情報を流して株価を操作し、短期間で巨万の富を築いてきた現代の錬金術師。「お金で何でも買える」と豪語していた人物の没落です。堀江氏は、最終的に時価総額1兆円に近い資産を形成したとか。すごいもんです。何年か前、アメリカで起きたエンロン騒動とかなり似通った構造があるのだとか。

自家用ジェット機
 先々週くらいですが、たまたまテレビで、堀江氏が自家用ジェット機で旅に出る番組をやっていました。電車で4時間かかるところが、20分の飛行ですむのだそうです。外国人のパイロットと添乗員三人付きですよ。でも、ニューヨークに往復するためには足りず、もっと大型のジェットを買うって言ってました・・・。

 わたしは株の仕組みについて、いまもって理解できてないのですが、ある別人について、こんな記事も新聞に載ってました。

100億円の資産を築いた27歳
 千葉県に住む個人投資家。現在、27歳。学生時代に160万から始めた株取引で、最近までにIT関連企業による株で100億円を超える資産を築いたそうです。この間、たった5年間。こんなことができる社会なんですねー。
 正当な取引であれば誰も文句は言えませんが、その影には取り返しのつかない損失を経験した無数の人たちもいるんでしょう。それにしても、うなってしまいます。
 この方は、現在無職だそうで、昨年末のみずほ証券の誤発注で20億円あまりもうけ、今回のライブドア騒動では、3億円の損失だったとか。う〜ん、こんなんでいいの?

中学校の授業で
 これも新聞記事ですが、未公開株の譲渡事件を起こしたリクルート社を辞めて教員になり、いまは校長先生をしている方が、自分の務める杉並区の中学校の授業で、子どもたちにこう質問したそうです。

「お金で買えないものを9個あげよ」(なぜ、9個なんでしょう?)
「ビル・ゲイツは、地元の商店街の店主より幸せだろうか?」
「マザー・テレサの生き方と比べてどう思うか?」

 ホリエモンは最高の教材だとか。「正解がなくなった成熟社会で、極端な価値観を示した彼は、停止していた人々の思考のスイッチを入れたのです」と。(朝日新聞1/20)

e0079743_17224945.jpg わたしもテレビのバラエティ番組に頻繁で出てくるホリエモンを、「あまり品性が感じられないなぁ」と思いつつも、羨望の目で見ていました。あんなことまでできるんだ、と。でも、短期間で巨万の富を築く仕組みを、「おかしい、変だ」と見る感覚も麻痺してました。

黄金色の誘惑 
 イエスは、「神と富に兼ね仕えることはできない」と言われましたし、この世の富と権力を提供しようと言って迫ってくるサタンの強力な誘惑を退けました。しかし、人間にとって、燦然と黄金色を放つ富は、依然として大きな誘惑であり続けます。「お金さえあれば、何でもできるよ〜〜」と。

 わたしは小さなマーケットを相手に、資金繰りに苦心しながらキリスト教小出版社を経営する身。「もっと資金があったら、もっと貢献できるのに・・」「もっと売り上げがあったらなぁ・・」などど考えない日はありません。「どんどん売れるような本を作ったら?」と親切な(?)アドバイスを受けることもあります。キリスト教出版社はみな苦労していることでしょう。

 もちろん富を築くこと自体は悪ではありませんが、肥大した富への誘惑があるとき、聖書の言葉をはじめ、上にあげた校長先生の投げかけた問いを、自分にも向けてみる必要がありそうです。
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 今朝、家でとっている朝日新聞を読んだら、前にここで取り上げた
「もったいないばあさん」のことが載っていて驚きました。

e0079743_1492791.gif 「家族で話そ!」という欄です。物があふれ、食べ残しが大量に捨てられていく環境で育つ子どもたちに、どう「もったいない」という、かつて日本であたりまえだった価値観を伝えていったらよいか、というのがテーマです。その記事によると、

「一昨年発行された『もったいないばあさん』(講談社)と、続編『もったいないばあさんがくるよ!』(同)は、計20万部を越すベストセラーだ。絵本作家の真珠まりこさんが、食べ残しを注意した当時4歳の長男に、もったいないってどういうイミ?と聞かれ、答えに詰まった体験がもとなっている」とありました。

 この出版がもとになって多くの人と話してきた結果、真珠さんはこう考えるようになったそうです。

「ケチは執着、もったいないには愛がある。子どもは慈しみ愛される経験によって、自分以外の物や命も大切なものだと学んでいく。それが『もったいない』という心を伝える原点だと思います」

 この絵本を広げて読んでいる母子の写真も載ってました。魚の骨のせんべいの話が載っているとか。単なるケチでない「もったいない」が「愛」につながるなんて、何て素晴らしい洞察。聖書の教えに通じますね。

 電車で高校生がこう話していたのを聞いたと、ある人が言ってました。
 「そんなことしていると、もったいないばあさんがくるぞ」
 「なに、それ?」
 「ええ、知らないの?」

 昨年末に、子どものための集まりで、著者とお話する機会がありました。
「講演で全国をまわってお忙しいのでしょう? うちでも子どもにたくさんの絵本を読んであげますが、たくさんの種類が発行され、よく売れていて、絵本市場ってたいへんな規模ですね」と話しかけました。

 ご本人の話によると、絵本作家になりたい人はたくさんいて、それでもなかなか売れるものが少なく、狭い道だそうです。講演の旅も、販売キャンペーンの意味もあるそうで、そうやって努力してなんとか買ってもらうのだとか。
 
 ノーベル平和章を受けたマータイさんの絶妙な発言のタイミングもありましたが、多くの人に知ってもらう努力もかかせないのですね。絵本作家の世界も忍耐、努力が必要なことを知りました。でもわたし、まだ買って読んでいません・・。
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教派を表すめんどうな用語
 ある人にとっては、あまりに明らかなことですが、他の人には混乱の元になる典型的なものに、「教派」や「主義」を表す用語があります。以前もこの点に触れた記事を書きました。

 これらは同じ言葉でも、国によって歴史が異なるため、違うニュアンスで使われたりします。とくに欧米のキリスト教の歴史に由来しているものが日本に持ち込まれるので、一般信徒にはわかりにくいこと甚だしい。神学校で学んだ人は、このへんはすっきりしているのでしょうか。

 40-50年くらいすると、その用語の発生した国で意味が変わっているのに、古いまま日本で使われているのもあります。さらに、一般の新聞やマスコミ、一般の出版物では、キリスト教界の現状に理解が追い付いていませんし、キリスト教出版物でも不統一なところがあるので、今でも混乱が見られます。

 福音派 ファンダメンタリスト 根本主義者 原理主義者 福音主義者

などの違いは、これまでごちゃごちゃに用いられてきたようです。もっとも、そのへんを説いた文献が出たり、マクグラス氏の書籍が紹介されたりで、最近はだいぶ改善が進んできているとは思いますが、キリスト教界以外では、まだまだ混乱したまま流府しているように思えてなりません。

 言葉は両刃の剣であり、便宜上使い始めたものがいつのまにか絶対化したり、理解を深めようとスタートしたものが、そこに感情的な壁、思いこみの壁、排他的な宗教的情熱が加わると、差別や蔑称のニュアンスで使われたりもします。

エヴァンジェリカル
「エヴァンジェリカル」を巡る用語について考えてみましょう。ここで詳細はとても扱えませんが、ちょっとした違いでかなりニュアンスが異なってきます。わたしも勉強中ですので、間違っていたら、ご指摘ください。

 ●Evangelicals(名詞:エヴァンジェリカルズ)  福音派
  福音主義的立場が中心で、その中に、保守派、原理主義派、根本主義派、社会派、ディスペンセーション主義派など、幅広く混交している。それぞれの中で右派から左派まである。
 最近はブッシュ政権を後押しているグループ、政治的派閥としてマスコミでは扱われている。福音派は、それ以外の外部の人から見ると、原理主義者の集団として見られることが多い。
 しかし、それは正確ではない。福音派は多様な集団であり、とくに日本では、世界からいろんな流れが入り込んでいる。カリスマ・ペンテコステ派、聖霊派も、アイデンティティにこだわるグループとの間では溝ができていますが、歴史的な流れをみるとに福音派でしょう。

 ●Evangelical(形容詞:エヴァンジェリカル) 福音的 伝道的 福音派的 福音主義的

 ●Evangelism(名詞:エヴァンジェリズム) 伝道 伝道活動 伝道主義 大衆伝道

 ●Evangelicalism(名詞:エバンジェリカリズム) 福音主義
  歴史的にみると、より広い運動の流れであり、教派を横断するもの。世界を見ればいまも、カトリック、聖公会内、正教会、アメリカの、あらゆる教派の中に影響を与えている運動であり、流れ。

ドイツ語ではどうか
 日本キリスト教団系出版社で盛んに出ているドイツ語をもとにした書物ではどうでしょう。

 ●Evangelisch(エファンゲリッシュ)
 ドイツのプロテスタント教会は、キルヒェ(州立教会)とフライエ・ゲマインデ(自由教会)に大きく二分されているようです。エファンゲリッシュという用語は、カトリックと異なるプロテスタント全体を指して使われます。プロテスタンティスムスという用語があるのに、それが使われないこともあるのは、「プロテスト(反対 抗議)」という原意を避けたいためでしょうか。

 これを日本語で「福音主義」と訳している本があるんですね。ですから、「Evangelische Theologie(エファンゲリッシェ・テオロギー = プロテスタント神学)が、「福音主義神学」と訳されている場合があります。これはちょっと不思議です。ドイツ神学一般が、「福音主義神学」ですか〜?
 わたしの認識が間違っているのでしょうか。すでに識者のあいだでは有名な用語の違いなんでしょうか。日本では、日本の現状を反映した、日本でしか通じない用語の使われ方がありそうです。
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夜中のモスクワ駅を発つ
 先の記事で、若いころドイツに渡ったとき、モスクワで起きた出来事を書きました。
 これには、さらに続きがありす。また一つ不思議な出来事があったのです。モスクワから列車の旅を経てベルリンに着いたときのことでした。
e0079743_12371.jpg 当時のソ連旅行は、公認の旅行会社によって滞在場所、交通機関の利用時間が決められてしまいました。モスクワに滞在したあとわたしは、夜中のモスクワ駅、12時発のベルリン行きにしか乗れませんでした。きっと、通過するソ連領土内を外国人に見られたくなかったからでしょう。その列車は、まる一日かかって次の日の夜中の12時にベルリンに着きました。

 その日程を知らされたのは日本を出発する直前でした。ベルリンに夜中に着くことに気づいたとき、その日の宿を決める時間もなく、日本を出なければなりませんでした。じつは、これが一番の心配の種でした。

 列車の中は、東ドイツに出稼ぎにいくキエフ出身の陽気な人たちと一緒になり、最初緊張したものの楽しい旅になりました。「日本の車はリッター何キロ走るのか」みたいな質問を受け、言葉も通じずで、しどろもどろのドイツ語、英語で会話したことを覚えています。

夜中のベルリン駅に着く
 さて、長い列車の旅は終わり、大きな荷物をかかえたまま、当時の西ベルリンのセンター駅である動物園駅で降りました。構内で徹夜する覚悟でした。
 手持ちぶさたなので、構内の交番で大きなスーツケースを預かってもらい、ぶらぶら構内を見学しました。時刻表を掲示してあるホールのようなところに来ました。人はまばらでした。

 そこに、細い身体をした少し猫背で黒髪、目がキョロキョロした男性が立って、時刻表を見上げていました。わたしは日本人かなぁーと、少しその方を眺めていました。そこで、何が起こったと思います?

 その方が、なんとなく見覚えのある方だったのです!

「まさか〜! うそだろ〜。そら似だろう〜。・・・う〜ん・・・」と思いましたが、近づいて、おずおずと声をかけてみました。

「あの〜、日本の方ですか?」
「そうです」
「間違ったらすみませんが、もしかしたら○○先生ではありませんか?」
(その方は、わたしが大学一年の教養過程で授業を受けた「西洋史」の先生そっくりだったのです・・・・)

「ええ? そ、そうですが・・・、いったいあなたは?」

もちろん、わたしもびっくりです、わたしは満面の笑みをうかべてこう言いました。

「やっぱり。わたしは先生の授業を受けたことがあります。詳しいことは忘れましたがとても印象深く覚えています」

 なんということ! 考えてもみてください。日本をはるか離れたベルリン、しかも夜中ですよ! こんな出会いってあるのでしょうか!

 先生は、「なぜ、あなたがドイツに?」ということで、わたしは目的を話し、今晩泊まる宿がない事情も話しました。そしたら、
「じゃ、泊まれる宿を探しましょう。ちょうどいまバイロイト行きの列車の時刻を調べていたところで、これから宿を探そうかなと思っていたところです」
「ええ? よろしいんですか? ど、どうぞ、よろしくお願いします!」

てなことで、二人で真夜中のベルリンで宿を探すことになりました。先生は何度もドイツに来ておられ、市内も詳しい。心もとないわたしに比べ、ドイツ語は問題ありません。宿はすぐに見つかりました。

問題解決
 こうして、出身大学の先生と同じ部屋に泊めていただくことになったのです!!

 いやはや、いやはや、じつにほっとしましたよ。「地獄で仏」とはこのこと、おっと、すみません、撤回します。「天使の助け」とはこのことです。

 先生がなぜ夜中の駅にやって来たかといいますと、ヨーロッパ研究家であり、オペラ・ファンだった先生が、有名なベルリン・ドイツオペラ劇場でワーグナーの作品を鑑賞してきた帰りだったのです。

 ワーグナーのオペラ(楽劇)といえば、一つの作品が長大で、ふつうのコンサートだったら夜7時から始まるところが、夕方の4-5時ころから始まって夜中近くまで上演するという、とんでもないものです。だから、夜中に駅に来られたというわけです。そして、ワーグナーファンの聖地、バイロイトに行くための下調べだったのです。

 次の朝、先生は旅に出発なさいました。「これからも連絡を取りましょう」ということで別れました。
 先生は帰国なさってから、この出来事を大学新聞の記事で取り上げました。わたしものちほど、その記事を読みましたよー。

主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
                             (詩篇121:3)

 こうしてスタートを切ったわたしの二年にわたるドイツ滞在は、よいことばかりでなく、危機もありました。でもその都度、これらの出来事を思い起こして、励ましを得ました。神は真実な方です・・・・。
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 昨年末の本ブログで、「神秘主義」という言葉が出てきたので、いらぬ混乱を招かないために、ここで整理しておきましょう。ジェームス・フーストン著『神との友情』(いのちのことば社 品切)のなかに、そっくり引用したいほとよくまとめられています。

 要点だけを以下に紹介します。
 
 英語で「神秘主義」という語は、オカルトや理性的思考とつながりのない宗教感情との関連で使われている。ドイツ語では、ミスティツィスムス(mystizismus)とミスティーク(mystik)という語があり、前者は、心霊術、オカルトをさすが、後者は、単に神秘的なものを指す。

 キリスト教における神秘主義は、あくまで聖書というガイドラインによってのみその神体験が規定される。キリスト教の神秘主義的体験は、他の宗教の体験とはまったく別もの。

 代々のキリスト教神秘主義者たちの経験の信憑性は、聖書と照らし合わせて吟味することができる。

 真のキリスト教神秘主義者とは、以下のような明確なキリスト教のリアリティの枠内で生きる人々のことを指す。

 第一 神は人間を創造された方。「神との合一」と言うとき、人間と神の本質の合一ではなく、意志と愛における一致を指す。

 第二 キリスト教神秘主義は、神を、名前をもたない超越的な存在としての神ではなく、父、子、聖霊なる神として経験される。

 第三 人となった神、キリスト・イエスの生涯と十字架での死を指し示すことなくして、霊的前進はない。

 第四 神と人との交わりは、全面的に神の愛の主導権に依存している。

 第五 真の神秘主義者は、神の民の共同体である教会に属していることを認識している。神の真理は個人のみならず、公同性をもつ教会によって保たれている。
              『神との友情』(P114-116)
 こうしたことをわたしたちがよく把握しておくことは、いらぬ混乱や論争を避け、キリスト教の豊かな霊的遺産を正しく位置づけ、現代に生きるわたしたちの霊的渇きに応える道を開くのではないでしょうか。

 神秘、神秘的、神秘主義、真の神秘主義、神秘主義者、神秘主義的、超自然的等の用語は、日本でどんな響きをもち、どんなイメージを人々に呼び起こすのでしょう?
 またキリスト教界内で、どのような定義で流布し、どう思われているのでしょう。
 過去何十年かで隆盛を見せているカリスマ運動は、こうしたことへの霊的飢え渇きに、ある意味で応えているのかもしれません。

 ポストモダニズムの時代にあって、世の中やテレビ番組で扱われているオカルトや神秘現象へのブームなどに引き回されず、キリスト者が引き継いできた「真の神秘主義」を吟味しつつ理解し、その豊かさを見失わないようにしたいものです。
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 明けましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 クレオパ
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