カテゴリ:ヘンリ・ナウエン( 26 )

e0079743_19315582.jpg ある神学校の特別講座に呼ばれて、週一回、計二回の三コマ授業を先月、担当させていただいた。
 私がどんな話をするかも不明なのに、呼んでくださった責任者の先生の寛容な心に感謝。
 私にとっても準備をしながら、とてもよい学びになった。

 神学生を対象に準備したつもりだったが、一般信徒も教職者も参加するかもしれないということで、内容の幅を広げて、飽きさせないように工夫したが、果たして。

 講演の概要。

一日目「ナウエンと霊性」
(1)ナウエンと黙想(観想)

 1)私とナウエンとの出会い。
 2)ナウエンの創造力の源、黙想、観想について。
 3)「レクティオ・ディヴィナ」(祈り)とは
 4)黙想の紹介(実際に初歩のエクササイズを体験)

(2)ナウエンの世界を知る

 5)ナウエンの著作に使用される独特の用語を探る
  「孤独」「ソリチュード(静まり)」「見ること、聴くこと」
  「沈黙」「受肉」「コミュニティ」・・・・

(3)人物像・宣教への姿勢


二日目「ナウエンと宣教」
(1)黙想の実践---聖書の言葉を味わう

(2)『傷ついた癒し人』 その1(現代人の苦悩を理解する四つのドア)

 1)本書が書かれた時代背景 
 2)本書の構成
  「苦悩する世界」(1章)解説
  「苦悩する若者の状態」(2章)解説
  「苦悩する人間の状態」(3章)解説(略)
  「苦悩する牧師の状態」(4章)解説

(3)『傷ついた癒し人』その2(これから求められる指導者とは)

 1)心の中の出来事を明確に、正確に表現できる指導者
 2)共感(コンパッション)こそが、真の権威
 3)瞑想的な批判者(観想を実践して識別する人)とは

 難解で知られる(訳が?)『傷ついた癒し人』だが、これまでのナウエン体験で教えられたきたこと(著作)を引きながら、できるだけ分かりやすく伝達できるように努めた。彼の創造の源が、すべてこの書に集約されているからだ。

 ナウエンの著作とこれまで17年間つきあってきたとはいえ、私の理解には限界があり、お話したことも、あくまで私から見た一つの理解に過ぎない。私がどう思うかというより、ナウエンがどう考え、どのようなメッセージを伝えたかったかを中心に解説した。
 これからの奉仕にあたる神学生、信徒の方々の参考に少しでもなればと願うものです。
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 「主よ、あなたについての思索にふけり、神学的観念や議論に熱中し、様々な霊性の歴史と伝統に興奮し、祈りと瞑想(黙想)についての思想や観念に刺激を受ける……。これらすべては単に、放縦な食欲、物欲、権力欲と同様、貪りの一種であるかもしれません。

 それゆえ、日々くり返し悟ります。あなただけが祈ることを私に教えることができ、あなただけが私をあなたの臨在の内に留まらせてくださることを。

 どんな本も、思想も、概念その他の何物も、あなたご自身が、これらの道具をあなたへの道となさらなければ、私をあなたに近づけることはありません」
  (フーストン著『神との友情』に引用されたヘンリ・ナウエンの祈り)
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 先日、銀座のキリスト教書店の老舗、教文館におじゃましてきました。お店の方としばらく四方山ばなし。同じ業界の人と情報交換するって、なかなか楽しいものです。消費者嗜好や読書環境が変化しているなか、日本の限られた読者層にいかにアピールするか、工夫していらしゃる様子がうかがえました。
 今もナウエン・コーナーが設置され続けていて、品揃えが充実しています。愛読者には助かりますね。(クリックで拡大)
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e0079743_13523483.gif 自己宣伝になって恐縮ですが、ヘンリ・ナウエンについて講演した私の番組をインターネットで見ることができます。これは、テレビ局から依頼されたもので、私にとっては初めての試みでした。
 先々週に、全六回の番組用の収録を終え、不十分な内容ではありますが、今後、随時、ネット上に配信される予定です。

 内容は各10分という短さ、一回で完結ということもあり、入門的なもので、これから彼の著作になじもうとする方に向けてお話しました。全6回の編成です。

8月中に配信(現時点ですでに二回ともアップされています)
 (1)『イエスの御名で』
 (2)『愛されている者の生活』

9月中に配信
 (3)『この杯が飲めますか?』
 (4)『嘆きは踊りに変わる』

10月中に配信
 (5)『放蕩息子の帰郷』(その1)
 (6)『放蕩息子の帰郷』(その2)

CGNニュース&コラム「文化・メディア」
 番組を見るためには、番組の枠内に表示されている「Silverlight」という無料のソフトをダウンロードする必要があります。サイトの色彩感はきれいですが、私には韓国的に感じます。ご愛嬌というところでしょうか。

 同じページの「コラム 教育」欄に、唄野綾子さんも出演しています。こちらも全六回だそうで、ビュルキ先生とのエピソードも出てくるかもしれません(現時点で4回分アップ済み)。
 他にもかなり多彩な多くのニュース、セミナー、対談、メッセージ、レポートを見ることができます。

国際化するCGNTVとは
 海外にいる韓国人宣教師や在外韓国人・韓国系キリスト者の支援を目的に韓国の大教会であるオンヌリ教会が開始し、ソウルと米国を発信地とした韓国語だけの放送でした。しかし、2006年秋には、日本支局を開設し、日本語による放送を始めました。局のスタッフは、韓国から派遣された人たちが多いようです。現在は、中国語、中南米向けの放送も開始した模様。

 第三者の立場でプラットフォームを提供しているためか、カトリックを除く日本の正統派プロテスタント教団、団体の関係者を網羅していることがユニークです。これまではそれぞれの教派がおもに自派の情報を自派向けに発信していた(「タコ壺社会」あるいは「離れ島社会」?)のですが、日本の正統派キリスト教界を横断する陣容(キリスト教団派(メインライン)、福音派、聖霊派、超教派宣教団体等)ですから、ゆるやかにしても、歴史的な影響を与えそうな感じがします。

 ある牧師の話ということですが、「長い間、名前だけしか知らなかった同じ市内の他教会の牧師のメッセージを初めて聞けて良かった!」という珍事も起きたそうです。地方の小さな教会のメンバーは、全国各地の指導者、信徒の話、またキリスト教界のイベント・ニュースを、時空を越えて見ることができるようになりました。

 日本はやはり外国から黒船が来ないと、島国特有の歴史と閉鎖性を打破できないのでしょうか?
 舵取りは難しいかもしれませんが、今後の発展を期待したいですね。
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e0079743_2002562.jpg ながらくお待たせしました。あめんどうによる新刊の発売です。

   『すべて新たに』
スピリチュアルな生き方への招待
原書:Making All Things New     An Invitation to the Spiritual Life

著 者  ヘンリ・ナウエン
訳 者  日下部 拓
四六版並製 104頁
定 価 1,050円
(1,000円+税)

発売予定日
 2009年6月15日


──この二、三年の間に多くの友人から、「あなたがよく話す、スピリチュアル(霊的)な生き方とは、どういう意味ですか」という質問を、ことあるごとに受けてきました。短時間で読むことができ、かつ霊的な生き方とは何かを説明するだけでなく、「実際に自分もそんな生き方を始めてみたい」と思わせる冊子があっても悪くないと感じていました。そんな気持ちから、この本を書くことにしました。

──私たちは、思い煩いでいっぱいの世界で暮らしています。多くのすべきことや心配事で占められ、同時に退屈で、恨みがましく、気が重く、しかもひどい孤独を感じています。このような世界のただ中に、神の御子イエス・キリストが現れ、新しい命、神の霊にある生き方を差し出してくださいました。

──スピリチュアルな生き方を始めるのが困難に思えるのは、思い煩いを生む力があまりに強いばかりか、聖霊の臨在が、あまりに気づきにくいように思えるからです。けれども、忠実に修錬を続けるなら、新しい渇きにおのずと気づくようになります。神への新たな渇きこそが、神の臨在の最初の兆候なのです。(本書から)

 本書は、現代人の典型的な心の問題、「退屈」「恨み」「抑うつ」という感情を入口に、どのようにしたら私たちの生活を「思い煩う」生き方から、「神の国を第一に」求めるスピリチュアルな行き方に変えていくことができるかを案内します。

 100頁ほどの小品ですが、ナウエンらしい人間理解の叙述と、霊的生活への歩みへのステップを分かりやすく描いている好著です。訳者は、米国シアトル在住の長老派教会の牧師。太平洋をはさんでの制作が進行しました。

<訳者あとがき>から
「霊的な渇きを覚えているのに、どうすれば霊的に潤った生活ができるか、実際に何をすればよいか分からない。あるいは、信仰をもって何年にもなるのに、霊的にどれほど成長しているのか分からない・・・。
 ナウエンは本書で、そんな私たちが求めていた核心にせまるメッセージを、シンプルな、しかし選りすぐられた言葉で、静かに、だが力強く語りかけてくれます」

ご期待ください。
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e0079743_12143688.jpg 大塚野百合先生によるナウエン講座が今月終了しました。本ブログも今年最後の記事です。

 毎回のことですが、元気溌剌としたお姿に接するごとに、痛快、すっきり。こちらが励ましを受けます。ほんの一部ですが、お分ちします。

 今回は、ナウエンの日記『明日(あした)への道』(あめんどう 品切)『ジェネシー・ダイアリー』(聖公会出版)、その他が題材になりました。

 この二つの日記は、前者はラルシュ・コミュニティでの一年、後者は、ジェネシー修道院で約半年滞在した日々の出来事をつづっています。この中でナウエンは、滞在先の指導者に対し、心に深く巣くっている問いをぶつけます。こうした指導を受けることを、「スピリチュアル・ダイレクション」と言うようですが、大塚先生はこの用語は用いませんでした。
 
 『明日(あした)への道』の日記の最初のほうでトマ神父に、「自分は、人間からの情愛を際限なく必要としています」と打ち明けます。そこで、現代の十字架の聖ヨハネとも称されていたトマ神父は、二時間にわたって人間のハート(心、魂)について解説して、ナウエンを圧倒します。

 『ジェネシー・ダイアリー』は、ナウエンが最初に出版した日記ですが、当時滞在した修道院の指導者に、次の質問をします。

 「私は祈っていながらも、誰に向って祈っているのか分かりません」

 そして、指導者は答えます。「それは、大変重要な問いです」

 すなわち、本当の神に祈っているのか? もしかして、自分の願望を神として祈っているのでないか、という深い問いがナウエンの心にありました。そして指導者は、その後の祈りの生活のための的確な指導をします。

 大塚先生の問題提起言は、「私たちプロテスタントの教会に通っている人たちは、このように、心の深みからの問いを、教会の指導者に尋ねたことがあるだろうか」とういものです。

 また、「プロテスタントの牧師は、自分の抱えている深い霊的問いを、ナウエンのように人々(教会の信徒たちに)に明らかにしたり、霊的指導者(スピリチュアル・ダイレクター)に指導を仰いだことがあるだろうか」と問いました。
 残念ながら、「ほとんんどないだろう」ということです。

 ボヴェーというプロテスタントの神学者が、ある病院に入院したとき、そこに、プロテスタントとカトリックの両方のナースが働いていたそうです。しかし、カトリックの人たちに、何か異なるものを感じだそうです。その違いを追及してみたところ、どうやら定期的に受ける霊的指導、「告解(告白)」の秘跡にあるらしいということにに行き着きました。
 それがカトリックのナースに、肩から荷を下ろしたような落ち着き、さわやかさを生み出しているのではないか、と。

 プロテスタントに、いつの間にか失われた祈りの在り方、神との関係、それを深めるための指導者の存在、そうしたものをプロテスタント側は学ぶ必要があるのではないか。ということでした。

 「アメリカから来るキリスト教の中で、実利主義、自分に役立つ神を求める霊性、実用主義、プラグマティズムに色づけられた神との関係、祈りのスタイル・・がある。
 こうしたスタイルへの見直しが、いま求められているのではないか。そうしたことに対する霊的渇きに、ナウエンの著作は答えているのではないか」というまとめでした。

 来年の春から、引き続き、ナウエン講座が開かれます。


 本ブログに、今年もおつきあいいただき、ありがとうございました。
 よき新年をお迎えください。
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 一部の方に、大変ご迷惑をかけましたが、増刷が出来上がりましたので、お知らせいたします。

 小社にご注文の方は、今日から受付可能です。書店に並ぶのは、数日かかる予定です。
 どうぞ、これからもよろしくご愛読、ご紹介くださいますようお願いいたします。
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 今週の木曜日、第二回目の大塚野百合先生によるナウエン講座がありました。
以下、私なりのまとめたワンポイントのレポートをします。ナウエン共著『コンパッション』を中心に語ってくださいました。

(以下レポート)
 ナウエン共著の『コンパッション』(邦訳、女子パウロ会発行)は、日本の教育界が読まねばならない本と思う。「勝ち」「負け」や競争が社会を支配している日本は、すべての人がその意識によってコントロールされている。
 小学校、中学校、高等学校、大学・・・というような名前のつけかたがよくない。これは儒教の影響がある。英語ではこうした序列的な用語を使っていない。

 クラーク博士の言葉と言われる「少年よ大志を抱け」は、かつて立身出世の標語のように使われた。これは、「アンビシャス」を「大志」と訳したからいけない。これは「心を燃やす」という意味がある。

 日本社会を毒している競争意識(コンペティション)ではなく、コンパションという意識が必要である。これは、「同伴者と共に苦しむ」という意味からきている。
 日本にこうした弱者に体する精神文化があるだろうか。それを探ると、宮澤賢治が思い浮かぶ。彼の童話「よたかの星」「どんぐりと山猫」「洞熊学校を卒業した三人」など、自分を偉いと思うことのこっけいさ、競争主義へのおろかさ、弱者への温かい視点がある。これは宮澤の仏教者としての深い信仰から来ている。ナウエンが賢治の本を読んだら、たいへん喜んだのではないか。
 ほかにキリスト者の詩人、水野源三の「朝しずかに」「悲しみよありがとう」などにも見られる。

 イエスは人々を見て、はらわたがちぎれるほどの「あわれみの思い」(コンパッション)を抱いた。
 聖書に出てくるイエスの感動を表す言葉、「あわれにみ動かされて」「深くあわれまれて」にあたる「スプランクニゾマイ」とは、「はらわたがちぎれるような」という意味を差し、「もっとも深く激しい衝動が納められる場所、情熱的愛と激しい憎しみの両方が生まれる中心部分」とナウエンは表現している。

ナウエン共著『コンパション』(女子パウロ会)P25より
 福音書がイエスのあわれみについて語り、イエスがはらわたの底から感動したというとき、それは何かとても神秘的なものを表現しています。イエスが感じたあわれみは、悲しみや同情のように表面的で一時的な感情とは明らかに違うものでした。むしろそれは彼の存在のいちばん傷つきやすいところにまで達するものです。
 それは、あわれみを差すヘブライ語の「ラハミム」、つまりヤーウェの胎内を意味します。まさにあわれみはイエスにおいて非常に深く、内的な、力強い情動なので、神の胎内の動きとしか表現しようがありません。そこに、神の優しさと寛大さのすべてが隠されています。そこでは、神は父でしかも母、兄弟でしかも姉妹、息子であると同時に娘なのです。そこでは、すべての感情、衝動、情熱が、神の愛のなかでひとつとなっているのです。イエスがあわれみに動かされると、すべてのいのちの源がゆり動かされ、すべての愛の土壌が避けて開かれ、神の限りない、無尽蔵な計り知れない(immense)優しさの深淵(abyss)が、その姿を現すのです。これが神のあわれみの神秘であって、新約聖書のいやしの物語のなかで目に見えるものとなるのです。


 神の愛を、こんなにも素晴らしく表現してる文章は、ほかにないのではないか。

(以上)

 今回もナウエンの文章力の素晴らしさに感嘆しました。しっかり味わい黙想したいです。その同じあわれみが、私たち一人ひとりにも注がれているのですから。
 (次の第三回目の講座は、残念ですが都合で参加できません。)
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M宣教師のその後
 心配していたMさんですが、私が見舞いに行ったあとに検査の結果が出て、いったんの退院となりました。お世話になっている友人宅でしばらく静養することになります。予定どおり帰国することを希望しているそうですが、うまく体調が守られることを祈っています。


恵泉 銀座センターの講座「ヘンリ・ナウエンに学ぶ神の愛と他者への愛」 第一回
e0079743_0594610.jpg 今朝から、大塚野百合先生による講座(全6回 隔週)が始まりました。朝11時から12時半までですが、さすがに時間帯のせいか、参加できる人は限られます。熟年の女性の方がほとんどです。10人近くの参加者に混じって、楽しく受けることができました。お元気で溌剌とした先生の講義は、間延びすることなく、飽きさせません。聴いていて楽しかったです。

 今回は、
(1)「なぜナウエンの著書が、心を満たし、いやし、多くの読者を獲得しているのか」
(2)「日本の文化のなかでナウエンを読むとは、どういう意味をもつのか」

ということが中心となりました。お話のなかから少し取り上げます。

 ナウエンが多くの読者の共感を読んでいる理由の一つは、彼の「honesty(オネスティ)」にある。これを感単に「正直」と訳してしまうと、正確に受け止めることはできないが、これは「偽善」の反対である。日本語の「正直」には「正直者はバカをみる」「バカ正直」というようなニュアンスがまとわりつく。

 日本の教会の指導者に、ナウエンに見るようなオネスティがあるだろうか。ほとんど見られない。それが、日本の教会が伸びない理由の一つにになっていると思われる。「先生」と言われる人は、「恥」をさらすことができない文化がある。

 その根底に武士道のような精神文化があるだろう。「恥」をかかぬことが日本人の道徳の土台になっていて、その精神構造に影響を与えている。内村鑑三は、「武士道にキリスト教を接ぎ木する」という発言をしたが、これは問題がある。

 明治、大正の牧師であった植村正久や作家の司馬遼太郎が指摘しているように、武士道には、演劇的要素、見栄をはること、あっぱれであること、華々しいことを賞賛する精神がある。これは、偽善に導く要素になる。つまり日本の精神文化には、人を偽善に導く要素が含まれている。

 ナウエンは偽善から遠くあろうとして生きた。「先生」と「生徒」ではなく、同じ目線にたって、自らの苦悩を率直に表すことができた。それが彼の著作の魅力であり、共感と支持を生んでいると思われる。(以上)



e0079743_0524953.jpgマレーシア出張
 今度の日曜日から1週間、マレーシアにでかけます。私が加えてもらっている国際ナビゲーターという団体のアジア地区の研修会があり、アメリカ、アジア、アフリカからの講師による多様な講演を聞いてきます。
 中心的なものは、教会内における信徒養育とリーダーシップ論ですが、各国の試みや事例が聞けそう。アメリカから招いた講師は、有名なメガチャーチの一つ、ウィロークリーク・コミュニティ・チャーチの「ディスカバリー」コースの責任者、ギャリー・ポール師(ゲアリー・プール?)。求道者のためのスモールグループを25年にわたって導いてきた人だそうです。いまから楽しみ。

 そこで、次の日曜日以降、しばらくブログは休みになりますので、よろしくお願いいたします。
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e0079743_18281052.jpg 長い間、ナウエンの著作に原書で親しみ、ナウエンを紹介する本も執筆なさった大塚先生が、下記のサイトのように、10月から12月にかけて、銀座の「恵泉銀座センター」で、全六回の講座を開く。

 定員があるらしいので、私はさっそく申し込むことにした。

ヘンリ・ナウエンに学ぶ神の愛と他者への愛
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