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スピリチュアル・ダイレクション(大塚先生によるナウエン講座)

スピリチュアル・ダイレクション(大塚先生によるナウエン講座)_e0079743_12143688.jpg 大塚野百合先生によるナウエン講座が今月終了しました。本ブログも今年最後の記事です。

 毎回のことですが、元気溌剌としたお姿に接するごとに、痛快、すっきり。こちらが励ましを受けます。ほんの一部ですが、お分ちします。

 今回は、ナウエンの日記『明日(あした)への道』(あめんどう 品切)『ジェネシー・ダイアリー』(聖公会出版)、その他が題材になりました。

 この二つの日記は、前者はラルシュ・コミュニティでの一年、後者は、ジェネシー修道院で約半年滞在した日々の出来事をつづっています。この中でナウエンは、滞在先の指導者に対し、心に深く巣くっている問いをぶつけます。こうした指導を受けることを、「スピリチュアル・ダイレクション」と言うようですが、大塚先生はこの用語は用いませんでした。
 
 『明日(あした)への道』の日記の最初のほうでトマ神父に、「自分は、人間からの情愛を際限なく必要としています」と打ち明けます。そこで、現代の十字架の聖ヨハネとも称されていたトマ神父は、二時間にわたって人間のハート(心、魂)について解説して、ナウエンを圧倒します。

 『ジェネシー・ダイアリー』は、ナウエンが最初に出版した日記ですが、当時滞在した修道院の指導者に、次の質問をします。

 「私は祈っていながらも、誰に向って祈っているのか分かりません」

 そして、指導者は答えます。「それは、大変重要な問いです」

 すなわち、本当の神に祈っているのか? もしかして、自分の願望を神として祈っているのでないか、という深い問いがナウエンの心にありました。そして指導者は、その後の祈りの生活のための的確な指導をします。

 大塚先生の問題提起言は、「私たちプロテスタントの教会に通っている人たちは、このように、心の深みからの問いを、教会の指導者に尋ねたことがあるだろうか」とういものです。

 また、「プロテスタントの牧師は、自分の抱えている深い霊的問いを、ナウエンのように人々(教会の信徒たちに)に明らかにしたり、霊的指導者(スピリチュアル・ダイレクター)に指導を仰いだことがあるだろうか」と問いました。
 残念ながら、「ほとんんどないだろう」ということです。

 ボヴェーというプロテスタントの神学者が、ある病院に入院したとき、そこに、プロテスタントとカトリックの両方のナースが働いていたそうです。しかし、カトリックの人たちに、何か異なるものを感じだそうです。その違いを追及してみたところ、どうやら定期的に受ける霊的指導、「告解(告白)」の秘跡にあるらしいということにに行き着きました。
 それがカトリックのナースに、肩から荷を下ろしたような落ち着き、さわやかさを生み出しているのではないか、と。

 プロテスタントに、いつの間にか失われた祈りの在り方、神との関係、それを深めるための指導者の存在、そうしたものをプロテスタント側は学ぶ必要があるのではないか。ということでした。

 「アメリカから来るキリスト教の中で、実利主義、自分に役立つ神を求める霊性、実用主義、プラグマティズムに色づけられた神との関係、祈りのスタイル・・がある。
 こうしたスタイルへの見直しが、いま求められているのではないか。そうしたことに対する霊的渇きに、ナウエンの著作は答えているのではないか」というまとめでした。

 来年の春から、引き続き、ナウエン講座が開かれます。


 本ブログに、今年もおつきあいいただき、ありがとうございました。
 よき新年をお迎えください。