宗教改革が市民に与えた影響「グレゴリウス暦」の採用

e0079743_16585822.jpg 『宗教改革の真実』(永田諒一著 講談社現代新書 04年)を読んで、教えられたことの続きです。

 現在、暦(こよみ)というものを、何の疑問もなく使っていますが、昔は大問題だったらしいです。ちなみに、過去の時の流れを「歴(れき)」、将来の時の流れを「暦(れき)」と呼ぶそうです。

教会暦って、そもそも何?
「教会暦」というものがあります。私はあまりそのようなことを重視しない背景で育ちましたが、それでも「クリスマス」「イースター(復活祭)」は話題になりますし、それにちなんだ行事があります。中世ヨーロッパは、いまと比較にならないくらそれが重要だったのですね。そして毎年の祝日制定は、おかかえ天文学者のいる教会が指導権を握っていました。

 宗教改革時代の初期、ヨーロッパではユリウス暦(ローマ暦、太陽暦の一種、ジュリアス・シーザーが制定)が、ずっと使われていました。ところが困ったことに、季節と暦が徐々にずれてきて、とうとう季節感が感じられないまでになってしまいました。
 あるとき、ローマカトリック側が、グレゴリウス暦(現在の暦)を採用すると言い出しました。1582年、ローマ教皇勅書発布です。『95か条論題』の発表から、65年たっています。宗教改革派側は、面白くありません。従いたくない人たちが大半でした。
 これが、新たな対立点になっていきました。

 たとえば教会生活で最も重要な行事と言える「復活祭」の日曜日は、春分の日から計算していました。春分の日を過ぎたのちの最初の満月の次の日曜日が、復活祭日曜日と決められました。(太陽暦の中の太陰暦?) そして、その復活祭を起点に、足したり引いたりして年間の多くの祝日(「移動祝日」 = レント、灰の水曜日、昇天祭、聖霊降臨祭その他)の日付を決めました。ちなみに、クリスマスは年によって移動しない「固定祝日」です。

 ユリウス暦とグレゴリウス暦では、満月の日付がずれてくるため、並べて使用した場合、三年に一度は、復活祭では一ヶ月あまりの差が生じるのだそうです。
 困ったのは、カトリックと宗教改革派が同じ都市に住んでいた地域です。同じ街なのに、祝日が異なってしまいます。静かに過ごしたい日と、にぎやかに過ごしたい日があるのですが、互いにずれてしまうため、同じ町内でいやがらせもあったとか。

肉が食べられないカトリック側
 発布から二年した1584年。ドイツのアウグスブルク市では、新旧両派が同居していたため、二種類の暦が使用されました。ただ、その街の食肉業者のほとんどは改革派だったそうです。
 当時、復活祭の前の45日間は、殺生を避け、肉を口にしない習慣がありました。これは四旬節と言います。この期間はお祝い事を避け、静かに暮らしました。今でも残っている有名な祭り「カーニバル」は、この四旬節(部分的断食)が始まる直前の、食えや飲めやのランチキ騒ぎというわけです。

 そこで、改革派の食肉業者が四旬節を厳守すると、すでに四旬節を済ませたカトリック側が、その期間を終えたのちも改革派のあおりをくって、肉食をすることができなくなりました。当時、電気冷蔵庫はないので、ある年は、合計で二ヶ月半も肉食ができなくなるという仕組みです。
 カトリック側の公式行事、祝典、世俗的な祝い事も、肉がまったく手にはいらない!

 この時期がどのくらい続いたかは分かりませんが、食肉販売の許認可権をもっていた市政府は、窮余の策として、改革派の何人かの免許を剥奪し、カトリック側の業者に与えて解決したのだとか。これはのちのち紛争の種になります。

宗教改革派も困った
 1583年、ある市政府では、新暦を守るよう命令を出し、守らなけれ厳罰を与えることにしました。問題は、改革派にとって新暦を採用すると、施行初年の「昇天祭」が消失してしまうことです。これで、改革派は不満が噴出。騒動になりました。そこで市政府は、いろいろと妥協案を示しながら、事態の収拾を図ることにしたそうです。

 もとより、グレゴリウス暦のほうが合理的であり、経済上、社会生活上、理があったので、徐々にヨーロッパに普及していきます。

グレゴリウス暦採用の経緯

1582-3年(ローマ教皇による勅書発布)
 イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、ドイツ語圏のカトリック地域が採用。

1700年(118年後)
 ドイツ、オランダ、デンマーク、ノルウェーの宗教改革派が採用。

1752-3年(170年後)
 しぶとく残っていたイギリス、スウェーデンがついに採用。

 ローマ教皇の発布から、170年もかかって全ヨーロッパが採用することになったのです・・・。なんと、まあ、すごいなりゆきですね〜。ですからこの時期のヨーロッパの歴史研究は、どちらの暦の日付なのか、要注意なのであります。宗教改革の理解については、神学的違いの側面ばかり目にいきますが、庶民の毎日の生活に、このような影響を与えていたとは知りませんでした。

 私はかつてドイツに二年間生活したことがありますが、ドイツは、北はプロテスタントの州が多く、南はカトリックの州が多いです。そこで州によって祝日が違うのです。「なんて面倒なことを!」と困ったことあります。それによって大学の休みや商業活動が異なってきますしね。ドイツの休日は、ほとんどの店が閉まりますから外国人にはたいへん不便です。
 この本のおかげで、その歴史的背景を、やっといまごろ理解することできました。(苦笑)

 グレゴリウス暦の採用は、カトリック側の政治的な巻き返しという見方もあるようです。しかし、この騒動をとおして、教会暦という、それまで大切にされてきた価値観が、相対的なものであることを市民に印象づける結果になったでしょう。

 また、教会の権威や、政治的、社会的影響力も、相対的な低下を招いたことでしょう。これは、やがて近代を迎える市民意識を形づくる一つになったかもしれません。

 実際、ヨーロッパはいまもキリスト教国とは言うものの、ルネサンス、近代をへて、政治、軍事、法律、自治は、教会によってではなく、支配者や権力者、政府(国の利益優先)によってますますコントロールされていくことになります。
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