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リック・ウォレン牧師が提案する新来会者むけの礼拝(その9)


シリーズ前回の(その8)の(1)〜(3)に、続いて(4)を書きたかった
のですが、長くなるので今回に。
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(4)何を学べるか
 (1)〜(3)で、伝統的な礼拝との違いに触れましたが、それは批判するためでなく、少し距離をとって客観的に見たかったからです。
 しかし、そこに提案されている「求道者向け礼拝」から、学べることは多いと思っています。

「目的の明確化ーー逆転の発想」
 「なんのために、教会があるのか」ということを、シィーカー・
フレンドリィ・チャーチ(SFC 以下同じ)は自覚し、明確化していますね。
ただ一つの目的というより、複合的な目的を持っているようです。

 これまで教会は、「これがキリスト教の礼拝です。これが私たちの説教のスタイルです」
という既存のスタイルに、それとはまったく馴染みのない人でも招こうとしてきたわけです。
 しかしSFCは、「まず非キリスト教文化で育った人にとって親しめるスタイル。
しかも自分たちの教理に妥協することなく」という発想からスタートし、
教会をデザインしています。これは逆転の発想とも言えそうです。

 この発想は、善し悪しというより、どう自分たちの使命を自覚し、それをどう実現
しようとしているかにかかっているでしょう。

「現場主義、フィードバック」
 教会がただ機会を提供するだけでなく、それへの参加者の反応はどうか、さらには、
期待、希望、ニーズは何かを実際に調査し(往々に想像(思い込み)と異なるため)、
耳を傾け、それを採用する用意があるのがSFCのようです。

 礼拝は神が中心であり、またそこに目的があるのですが、それを捧げるのは、肉体をもち、
感情を持ち、人生を背負った私たち人間。礼拝は、はなはだ人間的な営みでも
あるのです。ですから、こうしたフィードバックを得ることは、私たちを観念化から
救ってくれるのではないでしょうか。

 日本の大多数の教会では、多様な礼拝・教育プログラムを毎週実行する能力はありません。
ですから私たちにできることは、それが中心となるにしろ、日曜の午前の単一なプログラムに
何もかも期待するのでなく、また一牧師の働きに(指導を求めるにしても)
何もかも頼るのでなく、複雑化した現代社会の日常において対応することが求められて
いると思います。
 これは「ありきたりの結論」ですが、実行は簡単ではありません。

 教会の対応は、そのために他のミニストリーや団体とも協力して福音伝道したり、
信徒を育成したり、信徒の自主性を認め、その意見を取り入れたり、励ましたり、
支援していくことではないでしょうか。(これも「ありきたり」のまとめ?)

(シリーズはさらに続く。汗)