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リック・ウォレン牧師が提案する新来会者むけの礼拝(その2)

 では、どうしたらよいか?

リック・ウォレン牧師が提案する新来会者むけの礼拝(その2)_e0079743_18173336.jpg答は「簡単明瞭」だそうです
 現状を打開する答は、「友人を連れて来れるような魅力的で、意味のある礼拝を、意識的に創造すること」

 リック氏の教会(サドルバック教会)では、非信者がいちばん来やすい時間帯を「求道者(非信者)向け礼拝」に割り当てて、最初から工夫しているそうです。
 信徒向けには土曜夜の礼拝、日曜日には「求道者向け」以外に二回の礼拝時間を設けています。(水曜夜の祈祷会、早天祈祷会については書いてません。無いの?)

 彼はこの章で、あくまで「求道者向けの礼拝」の実際的、具体的な提案をしています。日本ではとても適用できない話がありますし、本質というより枝葉と思えることが中心ですが、礼拝を成立させる舞台作りとして、新来会者にかなりインパクトを与えそうに思えます。

新来会者への細かな配慮
 照明の明るさ、室温、音響、植物の設置、駐車場、道案内、トイレ、礼拝と並行した子どもクラス、音楽の内容、週報や礼拝での用語、イス、礼拝を進めるテンポ、敬称、ユーモア、礼拝の雰囲気・・と、トピックは切りがありません。いやー、じつに細かい内容。(こうすべきだというより、「配慮しよう」ということだと思います。)

 新来会者は内容もさることながら、こうしたことを肌で感知し、判断していると言うのです。
「来会者というものは、教会に来て10分以内にひとつの見解を持つようになる。牧師の話が始まるずっと前から、もう一度この教会に来たものか案じている。第一印象をくつがえす第二のチャンスはない」(P.12 抜粋)。
(ふ〜む。私たちは初めて商店やレストランに行ったとき、経験上、そうしていないだろうか? 教会とレストランはまったく違うが、教会になじんでない新来会者の習性としてはどうか。)

 礼拝の長さは、サドルバック教会では、何もかも含めて70分だそうです。日本で私が聞いた中では、「説教だけで1時間。説教が中心」という、神学校の授業並みの神学論を展開する牧師もいれば、「私の説教は20分。説教は礼拝の中の一要素」と考える牧師もいます。日本では平均1時間半(90分)+ アナウンス(案内・連絡事項)というところでしょうか。

説教の長さとイス
 私はかつて、自分が行っていた教会の牧師に、畏れ多くて誰も言わないことを提案してみたことがあります。
「毎回、素晴らしい説教で恵まれていますが、できれば説教がもう少し短くならないでしょうか。せめて30分。アメリカの教会は、だいたいその長さですが」と。お返事は、「日本語では難しい」でした。確かに英語では、同じ意味をずっと短いセンテンスで表現できます。

 そう提案した本当の理由は、「集中してメッセージを聞くことのできる注意力と肉体の限度」です。それは、礼拝が始まってからずっと座っているパイプイスに耐えられる時間。腹筋、背筋の衰えもあるせいか、私の腰が悲鳴を上げるのです。

 理解できることが少ない新来会者にとっては、どうしても感覚的なことに敏感になるのではないでしょうか。礼拝時間の長さ、祈りの長さ、音楽、なじみのない宗教用語、礼拝用語に、どう感じるでしょうか? とくに聖餐式に遭遇したときは?

 この本でリック氏は、イスのことをユーモアをもって指摘していました。(同じ考えの人がいたとは、うれしい!)

リック氏曰く、
「座席の快適さと配列もまた礼拝のムードに大きく影響する。不快なイスほど悪魔を喜ばせるものはない」(P.24)
「今日の社会で、人々がベンチに腰かけさせられるのは、教会と野球場の外野席くらいである」(同)   ほかに公園、大学の教室などがありますが・・。

 礼拝の時間は、ベンチに座り続けるのに適した時間というのもあるのではないでしょうか。身体が感じる不快さは後々まで潜在意識に残ります。たいていベンチには座布団があるのでかなり楽ですが。

 座席については、まあ周辺的な枝葉の要素の一つ(でも大切)。本書には、まだまだ興味深いトピックがあります。(続く)