存在した内村鑑三の現代語訳

e0079743_16182675.jpg 前回、内村鑑三の著作の現代語訳があったらよいのにと述べましたが、インターネットで「内村鑑三 現代語訳」で検索したら、いくらか出てきました。あれまー、すでに同じことを考えている人がいるものですね。便利だぞーインターネット! 著作権がとおに切れていることも関係するでしょう。

内村鑑三の著作(一部現代語訳あり)写真はサイトから借用
内村鑑三の著作から(短文のかなりの現代語訳あり)
青空文庫 内村鑑三集(短いものがダインロードできる。現代漢字を使用、現代語訳はない)

 まだ種類は多くないですし、訳されているのも著作の一部だけであるものもあります。そのうち、もっと全体像が分かるものが出現するかも知れません。

 岩波文庫で、鈴木俊郎訳、鈴木範久訳とかで出ているのは、もとが英文だったからですね。(訳文が読みやすいは確かめてません)。内村ものでたぶん、いちばん売れている『一日一生』(教文館)は、現代語訳になっているらしいです。いやー、知りませんでした。

 私の手持ちの文庫版(30年前!)から、二つの文章を、以下に私が現代訳にしてみました。推敲もそれほど重ねていなく、不完全な一時的なものに過ぎないことをご承知おきください。最初に示してある原文ですが、元どおりの旧漢字の使用はむずかしく、以下のような形になりました。私の読めない漢字もあって(冷汗)、間違いもあると思います。

愛国心の養成について

(原文 ここでは現代漢字で表記)
「如何にして愛国心を養成すべきや」とは余輩がしばしば耳にする問題なり、曰く国民的の文学を教ゆべしと、曰く国歌を唱えべしと、然れども人若し普通の発達を為せば彼に心情の発達するが如く、彼の体躯の成長するが如く、愛国心も自然と発達するものなり、義務として愛国を呼称するの国民は愛国心を失いつつある国民なり、考を称する子は孝子にあらざるなり、愛国の空言喧しくして愛国の実跡を絶つにいたる、余は国を愛する人となりて、愛国を論ずるものとならざんことを望むものなり。(『基督信徒のなぐさめ』第二章「国人に捨てられし時」から 昭和50年(1975年)発行 岩波文庫 27頁)

(クレオパによる現代語訳 暫定版)
「いかにして愛国心を養うべきだろうか」とは、最近よく耳にする問題である。ある人は、国を大事にする文学を教えよ、ある人は国歌を歌うようにせよと言う。しかし、もし人がふつうに発達するなら、その心が発達するのと同じように、彼の身体が成長するのと同じように、愛国心も自然と発達するものだ。義務として愛国を押しつけようとする国民は、すでに愛国心を失いつつある国民である。親に孝行していると主張する子は、孝行とは言えない。愛国という空言をやかましく言い聞かせることは、愛国の心情を絶つことになるのだ。私は国を愛する人になりたいが、愛国を論議する者にはなりたくない。

失って得たもの

(原文 ここでは現代漢字で表記)
 余は余の愛するものの失せしに因りて国も宇宙も ---時には殆ど神をも---失いたり、然れ共再び之を回復するや、国は一層愛を増し、宇宙は一層美と壮宏とを加え、神には一層近きを覚えたり、余の愛するものの肉体は失せて彼の心は余の心と合せり、何ぞ思きや真正の配合は却て彼が失せし後にありしとは。

 然り余は萬を得て一つを失はず、神も存せり、彼も存せり、国も存せり、自然も存せり、萬有は余に取りては彼の失せしが故に改造せられたり。

 余の得し所之に止まらず、余は天国と縁を結べり、余は天国てふ親戚を得たり、余も亦何日か此涙の里を去り、余の勤務を終えて後永き眠に就かむ時、余は無知の異郷に赴くにあらざれば、彼が嘗て此世に存せし時彼に會して余の労苦を語り終日の疲労を忘れむと、業務も粗苦と辛とを失ひ、喜悦を以て家に急ぎし如く、残余の此世の戦ひも相見む時を楽みに能く戦ひ終へし後心嬉しく逝かむのみ。(第二章「国人に捨てられし時」から 岩波文庫25-26頁)

(クレオパによる現代語訳 暫定版)
 私は愛する人を失ってから、国も宇宙も---ほとんど神さえも----失った。しかし、ふたたびそれを回復して、国をいっそう愛するようになった。宇宙はいっそう美と壮大さを加え、神をいっそう近くに感じるようになった。あの人の肉体はなくなったが、その心は私の心と合わさったのだ。真の一致が、いなくなったあとにかえって実現するとは、まったく思ってもみなかったことだ。

 そうだ、私は万も受けたのであって、一つも失ってはいない。神も存在し、あの人も存在し、国もあり、自然もある。万物はあの人がいなくなったゆえに改造されたものとなった。

 私が得たのはこれだけに留まらない。私は天国と縁を結んだ。私は天国に親戚を得た。私もまたいつかこの涙で濡れる地上を去り、なすべき仕事を終えたのちに永い眠りにつく時が来る。そのときは見知らぬ異国におもむくのでない。あの人がかつてこの世にあったとき、私はあの人に自分の労苦を語れば、一日の疲労を忘れるだろうと、仕事の苦しみとつらさも忘れて、喜悦をもって家に急いだものだ。

 そのように、私のこの世での残りの闘いも、あの人と面と向かって会えるのを楽しみに、しっかりと戦い終えてのち、心うれしく死んでいきたいと思うのだ。


 最初の愛国心については、いまホットな話題ですね。二番目の文章は、フィリップ・ヤンシー著『神に失望したとき』の内村版ではないですか!!
 歯切れがよく、面白いです。すばすばと言ってくれる言論人が昔のキリスト者にはいたのですね。そのため、迫害もたくさん受けたわけです。世間からも、キリスト教会からも・・・。
 彼の神学の全体像はどう評価されるかは正確なところ知りません。自分の属している教会の見方によって違ってくるでしょう。ただ、日本人とキリスト者であることを苦闘しながら追求した希有な人物として、私も少しずつ、しっかりと読んでみたいです。
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by amen-do | 2006-09-25 15:54 | 本 作 り