古典の待望の新訳登場

 何日か前の朝刊で、写真のような広告を見て、膝を打ちました。
「そうだ、古典の現代語訳、新訳をこんなふうにして普及してほしい」と。
e0079743_10282565.jpg 著者の死後、50年で著作権が切れるために、名作『星の王子さま』は、いまさまざまな訳が登場しています。
 かねてより私は、キリスト教の古典の翻訳、キリスト者生活の基礎となるべき文献を、分かりやい翻訳、現代訳で読みた〜い、と声を大にして叫びたい思いでした。
 ラテン系の古典(アウグスティヌス、プラトン、アリストテレス・・)など、英語で読んだほうがよっぽど分かりやすいって場合もあるのです。邦訳より英訳のほうがやさしいだなんて、おかしくて、やがて悲しいお話し・・(泣笑)。

 若い世代ほど、活字離れが進むことでしょう。だからこそ、現代語訳の必要が高いと思うのです。光文社文庫の主旨にはこうあります。e0079743_10283766.jpg
読んで分かる、面白い翻訳を
 とっつきにくく、面白くない、難解だ、などと思われてきた古典の世界に、私たちは「新訳」という新しい光を投げかけていきます。いま、息をしている言葉で訳された古典は面白い。この翻訳なら楽しく読める。それが、私たちの目指すところです。(文庫版にある説明文より)
 写真にもあるカント著『永遠の平和のために』(私は学生時代一読)の訳者は、「あえてカントの哲学用語を使わずに翻訳することにした。カントが教えるように、何よりも必要なことは知識ではなく、自分の頭で考えることである」(中山元氏)ですと。
 いいんじゃない〜。

 光文社古典新訳文庫は、ラテン語系の古典も視野に入れていますと宣言。がんばって欲しい。出よ。生きのいいアウグスティヌスの現代語訳!

日本人によるキリスト者が読むべき古典は何?
 ところで、日本のキリスト者による古典とは何か? とくに最近、四、五十年の場合はどうか? う〜ん、考えても出てこない。
 神学書はちらほら頭に浮かびます。文学をのぞけば日本のキリスト教が、いかにインテリ(学者、教職者)のものだったかが分かりますね・・・。残念だな〜。
 わりと最近では神谷美恵子か? 彼女はクェーカー教徒ですね。もっと主流派の中でいないの? 寂し〜い現状だなぁー!!(涙)

 少しさかのぼって、日本の近代の思想家に数えられる内村鑑三、または賀川豊彦、山室軍平というところか・・。

 内村鑑三の講演録は古めかしいものの、いまでもよく分かります。たとえば、『後世への最大遺物』とか。しかし、『基督信徒のなぐさめ』『求安録』『余はいかにして基督教徒になりしか』(だいぶ前に読んだので不確か。正 → 『余は如何にして基督信徒となりし乎』)は? いまだ旧漢字が満載の文語体ですよ(私がもってる岩波文庫)。

 彼のを現代訳、新訳にしたら、その強烈なメッセージをぼやかしているベールが剥がれそうですね。それを喜ばない人がいるのかなぁー。何しろ無教会派創始者だから(個人的にはファンです)? それとも文語体の品格を保ちたいから?
 彼の熱意のこもった文章が、現代によみがえらないものだろうか・・。もったいないなぁ。聖域なき新訳を求めたいな〜。

(もしかして内村鑑三の現代語訳があったら教えてください。)
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by amen-do | 2006-09-15 10:24 | 本 作 り