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男と女、命の連鎖

 今年最初の記事を書かないまま、もう一月が終わりそうです。
新年から仕事、活動がばたばたと続き、落ち着けない日々を過ごしました。
 毎度、訪れてくださった方にはすみません。

 さて、日本人は新年を迎えると心が改まる思いがあるように思います。80代の私の父は、正月が来ると「また一歳としをとった」とため息をつきます。笑)
 日本人にとっては昔から、年末年始は、死と再生をイメージする通過儀礼の意味があるのかもしれません。

 去年を振り返って、今も忘れられないことがありました。

 夏のある朝、子供を送って車を運転しての帰り、ラジオから『子供電話相談室』が聞こえてきました。夏休みに入った小学生低学年くらいの少年がこう質問していました。

なぜ人間は死ぬの?
 回答者はいったいどう答えるだろうと、耳をそばたたせました。
正確な再現ではないですが、概略は次のようなもなのです。

「誰か最近、亡くなったの?」
「うん、おばあちゃん(or おじいちゃん)」
「それは寂しかったね。どう答えたらいいかな・・・。
 この世界には死なない生物がいるよ。それはアメーバーのような生き物で、体を分裂させながら自分が増えていくんだ。だから、ずっと死なないのだね。
 人間のような生き物は、男と女がいるでしょう。オスとメスがいるような生物はやがてみな死を迎えるんだよ。男と女が出会って子供が生まれ、やがて自分は死んでいくんだ。

 どう? 親戚に赤ちゃんが生まれた人いる?」

「うん」
「人は死ななければならないけど、そうやって命を残していくんだ。お別れは寂しいけど、赤ちゃんが生まれるとうれしいね」
「うん」
「そうやって、人は命をつないでいくんだよ。分かったかな?」
「はい、ありがとうございました」

 可愛い会話でした。回答者は生物学的な見地から説明しました。子供も納得したようです。しかし、心の深いところにあるスピリチュアルな疑問は、まだ残ったままではなかったでしょうか。
 命の連鎖は貴重なことですが、各個人の命に代用品なく、少なくても自分が生きている間は二度とお目にかかれません。

 聖書によると創造主は、人を男と女に創造しましたが、男と女であることで、必然的に死が侵入することを聖書は告げています。人類に死が侵入したのは、アダムとイブが神の命令に背いて罪を犯したからだと、その理由を説明していますが、同時にそこには、イエス・キリストを通して救いがもたらされる土台となっています。

 神、自然、人、男、女、罪、死、救い、救世主、復活。。

男と女、命の連鎖_e0079743_1317732.jpgシメオンの満足
 聖書に出てくるシメオンという老人のことが心に浮かんできました。
 シメオンは年老いたとき、メシア、すなわち幼子のイエス・キリストと出会い、腕に抱き、神をたたえます。

「主よ、今こそあなたは、お言葉どどり、このしもべを安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」(「ルカの福音書」2章)と。

 シメオン(女老予言者アンナも)は、イエスがなした事業をまったく目撃せず亡くなったことでしょう。しかし、その幼子が救世主であるを啓示を受けて知っていました。そして、その存在を目で見ることで、安息を得て、満足して自分の死を迎えることができました。
 人は自分の希望を託すことのできる人がいると、死や別離の悲しみもなんとか乗り越えることができそうです。

 とくに救世主イエスがこの世界に登場したこと、そして私たちと同じ人間になって、私たちの罪を負って断罪され、処刑されたこと。また、その死から復活して神であることを示し、すべての人間に永遠の命を保証してくださったことは、たとえ、イエスをこの目で見ることができない私たちや、様々な理由で肉親としての子孫を残せない人であっても、死をも乗り越える希望を与えるのではないでしょうか。

 質問し、いったんは納得したように見える小学生も、もっと大きくなったら、また同じ疑問を抱くかもしれません。
 男の子が、生物学的な説明を超えたところに、さらに納得のいく理由を見つけることができるよう祈るものです。