(以下の文は、クリスチャンライフ研究会の会報『風の色』19号(2009/8月号)用に執筆掲載したものです。少しの修正を加え、ここにアップしました)
かつてヨーロッパに存在した奇跡的な教会 私たちが通常、普通と思っている教会の制度、スタイル、霊性は、様々な文化の影響を受けている。プロテスタント教会のあり方は、西方教会の流れにあり、ローマ・カトリックが吸収したローマ文化の影響を多く残している。もちろん、それがすべて悪いという意味ではなく、それを自覚することが大切だと思う。
西欧にあってローマの影響から逃れた奇跡的な教会があった。アイルランドを主とするケルト系教会だ。民族の文化を取り入れながら、独特のキリスト教霊性を育んできた。私たちは音楽を通じて、いくらかその雰囲気に親しんでいる。エンヤ、ケルティック・ウーマン、リバー・ダンスなどの音楽は、その雰囲気を今に伝えている。賛美歌にも「試みの世にあれど」「アメージング・グレイス」など、郷愁を誘うメロディ(五音階)が、その香りを残している。
ケルト系教会の隆盛は、5〜9世紀で、その後はヴァイキングの侵略で衰え、続くカトリックやプロテスタントの勢力に押され、その形態は千年前に地上から消えた。しかしその精神文化は、ヨーロッパ精神の一つとして脈々と受け継がれている。現在、自然破壊の元凶として批判されるキリスト教の中で、自然と調和し、豊かな霊性を持つケルト系教会を見直す運動が起きている。
その持つ霊性の特徴 ケルト教会の信仰生活の 特徴をいくつか挙げると、「共同体」「物語」「友情」「象徴」「冒険、旅」である。ローマ教会はローマ文化の影響を受け、中央集権的ヒエラルヒー築いた。ケルトは、部族の集合体であったため、部族ごとに修道院(共同体)を設置し、その院長を中心に活発な宣教活動を行った。
ローマ的伝道は、福音を宣べ伝えるとき、「こちら、あちら」と捉えて対面し、対決的に議論、説得し、それを聞いた人が一定の条件を受け入れ、それに従う誓約をしたら教会(共同体)に加える。ケルト教会は、最初から共同体に迎え入れ、生活を共にする。異教徒はキリスト者の生活が示す魅力に惹かれ、質問をし始める。そして、あるとき自分が信じてることに気づき、洗礼を受け、教会に加わるという。
「ソウル・メイト(魂の友ーアナムカラ)」という言葉も、ケルト教会にルーツがある。文字をもたなかったため、口承による豊かな物語文化を持つ。航海をよくしたので、外に出て行く冒険精神や、人生を心の旅に例えたりする。海外宣教も活発だった。
教理が不確かだったり、悪影響が出るほど異教的要素を混ぜてはいけないが、独自の文化を生かし、今も私たちの霊的渇きに応えてくれそうな霊的遺産を持つケルト系教会は、これからも私たちを魅了し続けるだろう。(参考文献:The Celtic way of Evangelism by G,Hunter. Wikipedia他)

近年の聖書翻訳で、ケセン語訳聖書ほど、衝撃を与えたものはないでしょう。
かつてアイヌ語だった方言が、807年に大和民族に征服され、何百年の年をへていく。 とくに明治時代の強力な国策によって、東京の山手言葉が標準語として制定されてからは、
ますます方言が滅びる方向に向かいました。
関東の影響を受けた北限といわれる気仙沼地方の方言を「ケセン語」と名づけ、聖書翻訳をするために辞書を作り、ついには四福音書のすべてをケセン語に翻訳。
そのなかで「ルカによる福音書」にある有名なイエスのたとえ話「放蕩息子の帰郷」を音声で聞くことができます。
感動しました。訳者であり、朗読者である山浦玄嗣氏(カトリック教徒)には頭が下がります。
意訳し過ぎかとも思われる箇所もありますが、ギリシャ語原典から訳したケセン語の迫力。
これまで聞いてきた父(神)の愛を表すなじみの物語が、息を吹き返したかのように立体的によみがえってきます。
なぜか懐かしいような異次元の世界に、しばらく耳をお傾けください。
ケセン語による「放蕩息子」 CD付きの本は、ネットからも購入できます。

少し前のこのブログに、賀川豊彦のことをシリーズで書きました。
その後、ある機会にカンバーラント教会の生島牧師夫妻とお話する機会がありました。そしたらなんとお二人は生前の賀川に遭ったことがある、というのです。
生島牧師が10代のころ、賀川が九州に講演で来た際、聴衆として講演を聴き、その後、計3回ほど、姿を拝見することができたそうです。
そして、現在は引退なさっていますが、長い間奉仕なさった高座教会の広い敷地が与えられたのは、賀川豊彦の貢献が大きかったのだとか。驚きました。

なぜ、その話になったかというと、四方山話で、「アメリカはオバマ大統領の提唱で、社会保険制度を整えたいようですが、日本は賀川先生の貢献もあったか、早くから整っていますね」との、話題になったのです。
そこで私が、「彼のことは、ここのところ学んでいるところで関心があります」と応じて、しばらく彼をめぐる会話をしました。もっぱら、私が質問責めをしたのですが。
そしたら、そこからだいぶたった昨日、その会話を聞いていたか、あとから聞いたかは定かでないですが、友人Yさんが、私にあるものを差し出し、こう言うではありませんか。
「クレオパさん、賀川豊彦のことを話してらしたでしょう。私の本棚にこれがあったので差し上げます」
とびっくりするようなプレゼントをいただきました。それが、ここで写真で示したノートのレプリカです! 私は大喜びでいただきました。
そしてなぜこのレプリカ(写真でコピーして製本)が作られたのだろうと、パラパラめくっていたら、中ほどに超有名な『涙の二等分』のオリジナル草稿があるではありませんか!
「なるほど、それて作られたのか・・・」と納得。

生島先生は、「講壇では大きな紙に、毛筆で字を書きながらお話なさっていたのが印象的でした」ということでした。
このレプリカにもほとんど毛筆で書いています。ところどころ鉛筆と思われる書き込みもあります。余白をたっぷりとって、今どきの人気の「ノート術」の秘訣と共通するところがあります。
詩作、説教のアウトライン、イラスト、英語での書き込み・・・この肉筆ノートから、何を感じ取れるか、大切に、じっくりこのノートとおつきあいしたいと思います。
Yさん、思いがけない贈り物、ありがとうございます。
これもブログが導いた出会いですね!